捜査共助課(短編小説)1〜30話

□あの日の空の色
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あの日の空の色が

思い出せない

あの日がどんな天気だったのか

覚えていない


(お母さん)
乾いた銃声と共に、誰かに呼ばれた気がして。
秋葉周子は目を開ける。
まだ乾かない涙が目尻から耳の辺りに流れ落ちていた。
「……貴美…?」
まだ耳の置くに残る声は、亡くなった娘の声に似ていた。
周子は起き上がり、今日が何の日なのかを思い出す。いや、本当は初めから覚えていた。
周子の一日は、朝、仏壇に線香と茶を供える事から始まる。
位牌の隣で微笑むのは、娘の貴美のものだ。
あの日から、時が止まってしまった。
「……おいお前、足は痺れないのか?」
周子が遺影を前にしてぼんやりとしていると、後ろから夫の貴之の声がした。
普段明るく気丈にはしていても、こうして時間を忘れるほど、周子はこの場所に座り続けている事がある。
「ああ、ごめんなさい……」
壁に掛かった時計を見ると、もう30分程ここで動かずにいたらしい。
貴之はそんな周子の姿を、今年4月に会社を退職するまで見たことが無かった。
彼女はこうして誰もいない家の中で、必死で孤独に耐えていたのだろう。
周子は気を取り直すように笑うが、まだ立ち上がらない。それを見て貴之は彼女の隣に座った。
「今日は貴美の誕生日か」
仏壇の写真を覗き込みながら、貴之は呟く。
「親よりも先に逝ってしまうなんて、あの子が生まれた時には……考えた事もなかったわね…」
周子は小さな声で言う。
「今でもあの子は…何処かに出かけていて。そのうち元気に帰ってくるんじゃないかと思うの。少し長い旅行に行ってるみたいに」
未だに周子は貴美の死を受け入れる事が出来ずにいる。その事に、貴之は悲しく胸を締め付けられた。
「あの日……警察から電話をもらって病院に行ったら……貴美はもう冷たくなってた。柊二が側にいて…あの子はごめんって言ったまま、泣かなかった。葬儀の時も、その後も。でもきれいな桜の花の下で、あの子は独りで泣いてた。それまで泣かなかったんじゃなくて、泣けなかったんだって事を…解ってあげられなくて……」
「………ああ」
貴美は、警察の不手際で死んだのだと。周子も貴之も、それを聞いた時には息子の職業を恨んだ。彼が刑事でさえなければ、そんな思いをすることもなかったのに。
被害者の兄が、その原因を作った側の人間だったのだ。
「奈穂さんまであんな事に。……それ以来かしらね…柊二が自分の命に無関心になってしまったのは。まるで……死に急ぐみたいに」
周子はひどく不安を抱えている。
貴之は、ひとつ溜息をついた後、周子の背中を軽く叩いた。
「大丈夫だ」
それしか、妻にかける言葉がなくて。
「親にできる事なんて…何も無いのね。送り出したら、信じて待つしかないんだもの」
周子は苦笑する。貴之も寂しげに笑った。
お互いに、もうこれ以上家族を失うことには耐えられないのだ。
真夜中の電話のベルにひどく不吉なものを感じたり、明け方の夢に怯える生活を、ここ数年続けている。
「あの子が…死ぬかも知れなくて…記憶も失くして…。それでも生きていてくれるだけで充分だなんて、嘘。本当は気が狂いそうだった。柊二まで失ったら……どうすればいいの」
周子は誰に言うでもなく、呟くように言う。
「段々私たちと距離を置いて……まるで最初から独りで生きてきたみたいな顔をして……。子供との距離の取り方が分からない親なんて…おかしいわね」
幾つになっても、子供は子供なのに。
「あいつは大丈夫だ」
貴之はそう言ったが、その心の中にも実は確信などないのだ。
しかし、自分と周子の為に、力を込めた口調で言い切った。

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