自動車警ら隊(リクエスト)

□規制線
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KEEP OUT

この先には

立ち入るなという

規制線




2学期末テストの1日目終了。
国語と音楽と、世界史。
出席日数は危ないし、成績ももちろん危ない。
『お前はやればできる』
と担任は無責任なことを言うけれど、何事にも本気になれないのだから仕方が無い。
村上沙希は鬱々とした気分で、歩いていた。
試験と3者面談さえ乗り切れば、夏休みなのだが。
「あつー…」
梅雨の合間の猛暑。地下鉄の駅から地上に出た途端にぎらぎらと照りつける太陽を見上げ、沙希は溜息をついた。
先日自転車を盗まれてしまったので、最近は徒歩で自宅と駅を往復している。
片道25分。
午前中に学校が終わるのは試験中でなければ嬉しい事なのだが、今日はまっすぐ帰宅してとりあえず一眠りする。
それから一応…明日の数学と英語のテスト範囲の確認をしなければ。
そう思いながら、沙希はふと足を止めた。
「あ…れ?テスト範囲どこだっけ」
バッグの中から、本体が見えなくなる程大量のストラップがついた携帯を取り出し、アドレスを手繰る。
「まあ、いいか……」
どうせつるんでいる仲間も似たようなものだ。誰に聞いても自分と同じかもしれない。
試験はギャンブルと同じだ。
出たとこ勝負でいい。
そう思い、沙希は再び携帯をバッグの中にしまいこんだ。
本当は、携帯はシンプルなほうが使いやすいと思っているのだが。
仲間が全員じゃらじゃらとストラップをつけて飾っているので、自分も浮かないようにそうしている。
皆、一緒。
そういう希薄な繋がりなど、本当はいらないのに。
例えば10年後、自分たちはお互いの存在を鮮明に覚えているだろうか。
「あ〜…おなかすいた……」
沙希は呟き、また歩き始める。
近くのコンビニで昼食を買って帰らなければ、自宅には昼間は誰もいない。
添加物バリバリのおにぎりでも、何でもいい。
そう思いながら、沙希は通いなれたコンビニのドアを開けた。
客は自分を含めて2人。背の高いひょろ長い男が文房具のあたりに立っている。
沙希は顔見知りの女性店員にちらりと笑みを向け、ペットボトルのコーナーに行く。
500ml入りの麦茶とカロリーゼロのコーラを取りながら、ふと背後のレジを見た。
よく分からない違和感。
「………?」
何かがおかしい気がして、沙希は手にしたペットボトルをもう一度棚に戻した。
商品を探すふりをしながら、さりげなく先程からレジの前に立っているあの男性が見える位置に移動してみる。
目深にかぶった黒いキャップ。サングラス。口元を覆う白いマスク。
このくそ暑い日に、だ。
(や・ば・い)
沙希は男から目を逸らし、再び店の奥へとゆっくり歩いていく。
雑誌コーナーの前を通り、ドアを開け外に出て警察に通報する、というコースを自然に頭の中で描いていた。
店員は青ざめた表情のまま、固まってしまっている。
沙希はなるべくあわてないように、と自分に言い聞かせて雑誌の前を通過した。
ドアに手をかけたところで、背後の男がこちらを見る気配がしたが、絶対に振り向いてはいけないと再び心に念じる。
冷房の効いた店内から、一気に蒸し暑い外気にさらされる。携帯を取り出そうとして、初めて指先が震えていることに気が付いた。
さりげなく、さりげなく。
沙希はドアの側に立ち、生まれて初めて押す番号を押した。
状況を説明しようと一瞬店内を振り返る。
サングラス越しに、目が。
合ってしまった。
焦れたように店員に向かって声を上げる男の右手で閃いたのは、ナイフだろうか。
「早く!早く来てよ!!」
数分前に、既に110番通報が入っているので落ち着くようにといわれたものの。
とうとう沙希は叫んでしまう。
店の中では店員がレジを開けて数枚の紙幣を取り出していた。
そのうちの一枚を落としてしまったのか、身を屈める。
ここから見ていても、紙幣を差し出す両手がガタガタと震えていた。
もう、時間がない。
あの男はこのドアに向かってくる。
(ああああ、何か格闘技でも習っときゃよかった!!)
沙希はそんなどうしようもない事を思いながら、携帯を握り締めた。
乱暴にドアは開かれ、沙希はものすごい勢いで突き飛ばされた。
倒れこんだ駐車場のアスファルトで左膝を擦ってしまう。
男の足音に重なるように、急停止する数台の車の音が聞こえた。
沙希は顔を上げる。
目の前にひとりの女性が走りこんで来た。
「大丈夫!?」
「………え……」
黒のパンツスーツを身に着けた彼女は、沙希の側に膝をつき顔を覗き込む。
彼女の肩越しに。
沙希は男のナイフが弾き飛ばされ、彼がアスファルトの上に押さえ込まれる姿を見た。
ほんの数秒だったのかもしれない。だが、沙希の目にはひどく長い時間のように思えた。
「……秋葉……」
沙希は顔をしかめた。
『機捜』と書かれた腕章をつけた大柄な刑事と一緒に男を押さえ込んでいるのは、沙希が良く知る人物だったからだ。
しかし、その『秋葉』は沙希が見たこともない恐ろしい目をしていた。




沙希は念のために病院へ行ったほうがいいという女性刑事の進言を断り、大塚署の相談室で事情を聞かれている。
2階の少年課ならば慣れた場所なのだが。今日は上階の刑事課に通されている。
擦り傷の応急処置をしてくれたその女性刑事は、沙希に『立花優』と書かれた名刺を差し出した。
沙希はそれを握り締めたまま、こわばった表情で下を向いていた。
試験中なのだと告げると、なるべく早く終わらせると優は笑った。
ひとしきり自分が見たもの聞いたものを、優に聞かれるままに答える。
優はその話を丁寧にノートに書き落として行った。
自分より先に通報したのは、もうひとりの店員だったという。レジの奥に居たので男に見つからずに通報できたのだ。
それであんなに早く警察が現場に到着したのだと沙希は納得する。
「あなた、秋葉を知ってるのね」
優がそう言ったのは、事情聴取が終わった後だ。
沙希はようやく顔を上げる。
どちらが本当の秋葉なのだろう、とずっと考えていた。
だが、その疑問を優にぶつけてもいいものかどうかためらってしまう。
少年課や、街で会う時とは明らかに違う、あの目に。
初めて恐怖を感じた。
優が置いてくれた麦茶のグラスから水滴が流れ落ちる。
「秋葉も……あんな目、するんだね」
その水滴を視線で追いながら沙希は呟いた。
あまり優の目も正面から見たくない。
「怖かった?……当たり前か」
優はそう言いながら、笑う。
「あんな目、私の前では見せたことない」
少し悲しそうでそれでも優しい目。
その目しか、知らない。
ぎらついて、殺気立った目など見たくなかった。
一切の物を寄せ付けない厳しさで。
目に見えない規制線を自分との間に張り巡らされた気がした。
「ごめんね。怖かったね」
優にハンカチを差し出されて、初めて沙希は自分が泣いている事に気付いた。
「いい」
意地を張るように、沙希は手のひらで涙を拭う。
「………刑事、だから」
優は沙希の涙を見つめて、呟いた。
「私たちは、刑事だから。……相手によって顔を変えるの。だから多分…秋葉も、あなたにいつも見せるような顔じゃなかったと思う」
優は慎重に言葉を選ぶ。
何より目の前にいるまだ10代の少女の心を傷つけないように。
「あんなの相手に、少しでも気を緩めたらこっちが負けるの。私たちが負けたら…終わりだから。あなたが知ってる秋葉も今日の秋葉も、あいつの中ではちゃんと折り合いをつけて存在している人格なの」
沙希は逸らしていた目を優に向ける。
「あんまり怖がらないであげて。ああ見えて秋葉、結構傷つくから」
いたずらっぽく微笑まれて、沙希もようやく笑う。
「立花…さん」
「何?」
「秋葉のこと好きなんだ?」
沙希は優を覗き込む。
優はその不意打ちに、一瞬言葉を詰まらせた。
「もう、帰っていい?」
足元に置いたバッグを、優の答えを聞く前に取り上げる。


それでも。
次に秋葉に会ったとき。
自分は今日までと同じように笑えるだろうか。
秋葉は今日までと同じように笑ってくれるだろうか。

規制線を張ってしまったのはもしかして自分なのかもしれない。
沙希はそう思いながら階段を駆け下りた。

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