自動車警ら隊(リクエスト)

□君には内緒
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「こら!梶原!!」
「はい!!」
怒気を含んだ声で陣野に呼ばれ、梶原は顔を上げる。
「ちょっと来い!」
「はい!!」
慌てて秋葉の隣の自席から立ち上がり、陣野のデスクへと走っていくその姿を横目で見ながら、秋葉は溜息をつく。
今日は何だろう。
また書類関係の不備だろうか。
真剣に仕事に取り組む姿勢は誰よりも前向きで好ましいのだが、梶原は書類作成が苦手なのだ。
(字はうまいんだけどなあ……)
『道』と名のつくものが好きなのかどうかは知らないが、梶原は柔剣道の他にも、実は書道が出来たり茶道が得意だったりする。
秋葉はそれを『限りなく無駄に備わった、使える才能』と評価している。
本人に言った事はないが。
ひとしきり陣野に雷を落とされて、梶原が戻ってきた。
手にしているのは供述調書だ。
しゅんとしたその姿に、秋葉は頭の中で、垂れた耳と情けなく元気のないしょげた尻尾を付け足してみる。
(こいつ……犬、だよなあ……)
こういう時は、秋葉もしばらく梶原には声をかけない。
くるくると変わる表情を横目で見ている方が楽しいからだ。
普段は温和な陣野にこっぴどく叱られ、苦労して書き上げた供述調書が紙屑になる。
しょげているかと思えば、若干腹立たしさを滲ませた目で書類を睨み、また溜息をついて。
それからおもむろに調書を取る時に使用するノートと、事件関係の書類がまとめられているファイルを机の上に広げ、無言で仕事をやり直し始めるのだ。
梶原は、そこまでの気持ちの切り替えが素早い。
長くかかっても3分程だ。
彼は妙な自己顕示欲を発動させたり自己主張をしたりせずに、周囲からの叱責や助言をそのまま一度飲み込める人間なのだ。
秋葉はそれを『限りなく無駄な時間を省ける才能』と評価している。
本人に言った事はないが。
「………何、書いたんだ?」
秋葉は梶原の気持ちの切り替えが済んだ事を見届けて、まだ彼が手元に置いている供述調書に手を伸ばした。
「いえ、普通に…書いただけですけども」
秋葉はゆっくりとそれに目を通しながら、笑いを堪える。
供述調書の文体は、被疑者本人の一人称の形で書かなければならないのだが、梶原はまだそれに慣れていないのだ。
秋葉自身も、時折調書を作成しながら、自分が何か架空の話を書き上げているような感覚に陥る事もあるのだが、梶原ももしかするとそうなのかも知れない。
自分と組んでいる間、ずっと書類の書き方だけは丁寧に教えてきたつもりだったのだが、梶原は書類仕事でつまずく事が多々あった。
最初は誰でも例外なく、それを経験するのだ。
それでも梶原は、仕事の質を向上させるためには努力を惜しまない。
「書き直します」
苦笑して秋葉から書類を受け取るとペンを取り、作業に集中する。
周囲には影平と梶原を足して2で割ればちょうどいいだとか、秋葉と梶原を足して、影平で割るだとか、訳の分からない事を言われる事もあるのだが。
秋葉はたった今書き上げたばかりの実況検分調書をひとつにまとめて立ち上がる。
「5分休憩してくる」
「あ!煙草…じゃないでしょうね?」
梶原が秋葉を見上げた。
先日梶原に喫煙セットは全部渡したばかりだ。
「煙草は持ってない」
ひらりと両手を広げて見せ、秋葉はその場を離れた。



秋葉は階段近くの自販機コーナーで、ペットボトル入りのミネラルウォーターを買う。
「お、秋葉?久しぶり」
キャップを開けてそれを一口飲んだ所で、声をかけられた。
小銭を手のひらで遊ばせながらやってきたのは、総務課に所属している久保という30代後半の巡査部長だ。
「いいなあ私服は涼しそうで」
そう言いながら、久保は肩からかけていたタオルで汗を拭う。
「いいじゃないですか、制服は半袖で」
小銭を自販機に飲み込ませ、久保はしばらく迷った後で炭酸飲料を買った。
それを一気に半分飲み、ようやく落ち着いたというように溜息をつく。
「忙しい?」
「まあ、それなりには」
そんな会話を交わす間に、久保はふと思い出したように秋葉を見た。
「あいつ何て名前だっけ。前にお前と組んでた、でかい奴」
久保の短所をひとつ挙げるとしたら、なかなか同僚の名前を覚えない所だ。
秋葉は久保に個人として認識されるまでに1年半近くかかった。
そのうち若くして完全にボケるのではないだろうかと署員一同に心配されている事は、もちろん知らないだろう。
「梶原、ですか?」
「…………ああ、それそれ」
それ呼ばわりされた梶原がどうかしたのだろうか。
秋葉は久保の次の言葉を待つ。
何かと梶原の事が気がかりではあるのだ。
刑事としてのスタートを自分のような刑事と組まされた彼の事が。
恐らく梶原は、負の影響など受けずに成長していくのだろうが、果たして自分は梶原に刑事としての基礎を少しでも教えられたのだろうか。
陣野がそうしてくれたように。
「あいつに一昨日、世話になったわ」
久保はそう言って残りの炭酸飲料を飲み干した。
「犯罪被害者対策室でさ。今フォローしてる被害者がいるんだけど」
総務課には犯罪被害者対策室という部署があり、主に刑事事件の被害者のケアを目的として組織されている。
「ああ……」
それはつい10日程前。別居中だった夫が刃物を持って妻の実家へ行き、そこで自殺を図るという事件が起きた。
妻も顔や腕に相当な傷を負い、今はまだ入院中なのだが。
夫はまだ意識不明、妻からも充分な事情聴取が出来ていない状態だった。
梶原と陣野がその被害者からの聴取を任されていた。
「一昨日たまたま被害者の病室で一緒になってな。これまでどうやっても話も出来なかった彼女が、あいつの一言で変わったんだよなあ」
梶原が毎日彼女の元に足を運んでいたのは秋葉も知っていた。
「俺たちはあなたを傷つけに来た訳じゃないから、信じてくださいって。ちょっと陳腐な台詞に聞こえるけど、あいつ真剣だったなあ」
一度傷つけられた人間の信頼を得るのは難しい。
時間をかけてひとつずつ手探りで鍵を開ける作業に似ている。
確か、梶原はそう言っていた。
「あいつ、いい意味で裏がないだろ?」
「そう、ですね」
空になったペットボトルをゴミ箱に投げ込み、久保は真顔で呟いた。
「あれ、絶対いい刑事になると思う。出来ればこっちに引き抜きたいけど」
「……駄目ですよ」
あげません、と秋葉は笑う。
とは言うものの、久保にも秋葉にも人事権などないのだが。



久保と別れ、秋葉は刑事課へと戻る。
その途中、喫煙所で煙草を吸っている陣野と目が合った。
「お疲れさん」
煙で作った輪を空中に吐き出しながら陣野は目を細めた。
「お疲れ様です」
「まあ座れよ。……禁煙中だっけ?」
そう言って陣野は煙草を灰皿に押し付けた。
別に他人が吸っている姿を見たり煙草のにおいを嗅いだりしたからといって、煙草が吸いたくなる訳ではないので、秋葉は言われるままに陣野の向かい側の椅子に座る。
「梶原、だいぶしっかりしてきたな」
「…………」
この言葉に何を返そうかと秋葉はしばらく迷う。
「お前が何か負い目を感じる事なんてないよ。あいつはちゃんと育ってる。お前が根気強く教えた書類仕事も。お前がなるべく梶原を遠ざけておきたかった被害者遺族相手の仕事も。あいつはちゃんとお前を見て、自分のものにしてる。まあ…少し抜けてる所もあるけどな」
陣野は新しい煙草を取り出し、指先でくるくると回しながらそう言った。
「お前はどちらかというと仕事の覚えが早くて、俺はそれほど出番が無かったけど。梶原も面白いなあ。ある日気付くと何か急に成長してたりする」
子育てをしている気分なのだろうか、陣野は何処となく父親のような表情を浮かべている。
「梶原には、内緒だぞ。あいつすぐ調子に乗るから」
「……はい」
秋葉は頷いた。
「まあ、今日の供述調書はウケたけどな。被疑者の方言そのまま書きやがって」
「俺も最初はそうでしたよ」
「そうだったな。苦労して全部土佐弁で書いてたよな?」
「はい」
恐らく自分も梶原も、向こう数年はこのネタで笑われるのだ。
陣野の笑みに苦笑を返し、秋葉は立ち上がる。



「ああああ!!秋葉さん、煙草のにおいがしますよ!?」
自席に戻った途端、梶原が顔を上げてそう言った。
「吸ってません」
疑わしそうな目をする梶原に、秋葉はポケットの中身まで見せてやった。
見下ろした梶原の机の上には、作成途中の供述調書がある。
「ごめんなさい。俺覚え悪くて。ちゃんと秋葉さんに教えてもらってたのに」
秋葉の視線に気付き、梶原はまた表情を変える。
秋葉は恐る恐る左手を伸ばし、梶原の頭を撫でた。
「何ですか?どうしたんです?」
滅多に見られない秋葉の柔らかな笑みを目にして、梶原は首を傾げる。
「何でもない」
秋葉は梶原を撫でた手で、今度は軽く彼の頭を叩いた。


自分自身の成長に気付いていないのは梶原だけだ。
本当は皆それに気付いて認めているのだという、その言葉は、もう少し後まで取っておこう。
秋葉はそう思った。

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