自動車警ら隊(リクエスト)

□無題
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本当に恐いのは

あなたのような

人かも知れない



「バーカ……」
「どうせ馬鹿です。何度も言わなくていいです」
梶原は、アスファルトを蹴りつけながら走る。
同じように隣を走っている秋葉に、もう何度も何度もお前は馬鹿だと言われ、更にへこむ。
「何周走れって言われたんだっけ?」
「20周」
「ダルいな」
「秋葉さん……付き合ってくれなくていいですよ…」
日が暮れた大塚署の周囲を。
2人は走っている。



遡ること1時間程前。
夕方5時に勤務を終えた秋葉たちは、そのまま最上階の講堂へ上がった。
週に1度、ここで逮捕術と柔剣道の訓練が行われる。
刑事課だけでなく、地域課などの課員も集まってくるのだ。
講堂のドアを開けると、既に竹刀を打ち合わせる音が大きく響いていた。
「今日は、何だっけ」
「俺らは柔道…でしょ」
更衣室のロッカーで着替えをしながら秋葉の問いに梶原は答える。
「大丈夫、ですか?」
「……何が?」
不安げに見てくる梶原に、秋葉は首を傾げた。
「森下さん、いますけど」
「ああ……」
同じ刑事課の陣野班にいる森下は、秋葉を目の敵にしている。
秋葉は有段者ではあるものの、柔道があまり得意ではないために組み合う相手によれば一本取られる場合もある。
無差別に組み合う訓練では、森下の方が体格的に有利であり、背負い投げの後などに倒した秋葉の身体に肘で駄目押しを食らわせてみたりする。
そういう陰湿な嫌がらせをする男なのだ。
「ま、ほっとけ。オッサンに負ける俺が悪い」
軽く梶原の背を叩き、秋葉は道着を整えた。
「秋葉さんがそんなんだから、森下さんがイライラしちゃうんですよ」
「ふーん、そうなのか?じゃあどうすればいい?痛がってのたうちまわれば、オッサン満足するかな?」
「……本当は痛いくせに」
秋葉は決して森下の挑発には乗らない。
そんな態度が相手に『馬鹿にしている』と取られているのだと、彼は理解しているのだろうかと梶原は頭を抱える。
「俺よりお前のロッカーの方が重症だろうが」
「あ〜……もう好きにすればって感じ……」
刑事課の更衣室では。
森下は梶原のロッカーを蹴ってはストレス解消をしている…か、どうかは定かではないのだが、とにかく1週間に1回は梶原のロッカーに新たなへこみが増えていく。
財政難の折、取り替えてくれと訴える事も出来ず、結局はそのままそれを使っているのだが。
「それと同じだよ。もう好きにすればって思っとけ、俺の事も」
「秋葉さんはロッカーじゃないですから」
それとこれとでは激しく問題が違う。
秋葉は生身の人間なのだから。
「あのな……絶対何があってもキレるなよ。お前、たまにぶちっと行くから……」
そう釘を刺して、秋葉は笑った。
「そんなにキレません。カルシウムは秋葉さんより摂ってます!」
梶原は口を尖らせ、秋葉に続いて更衣室を出る。
手前の床では剣道を。
奥の畳では柔道の訓練が行われる。
これが週変わりでローテーションされるのだ。
今日は地域課と刑事課が柔道訓練になっている。
「おいーっす」
畳の上でぴょんぴょんと跳ねながら、影平が2人に向かって両手を上げた。
「元気ですねえ……影平さん」
「おうさ。柔道大好き!!でも剣道キライ。だって面ばっか食らったら背が縮んじゃうもーん」
何かの準備運動のつもりなのか、はたまたテンションが上がっているだけなのか、影平は飛び跳ねながらそう言う。
「縮まないでしょ…」
苦笑する秋葉の顔に向かって、不意に影平は着地したと同時に左足を大きく蹴り上げる。
秋葉はそれを右手で軽く受け止めた。
「何ですか」
「オッサンに気をつけな、さい」
ぽん、と勢いよく足を離されながら影平は小声で言い、ニヤリと笑った。
「影平さんの方が恐いんですけど……」
眉をひそめ、秋葉は呟く。
「じゃあ、ぽーんと投げられちゃいなさい」
そう言う影平も、秋葉が訓練時に肩の傷をかばう癖がついてしまっている事を知っている。
そこを執拗に狙う悪質さを持つ森下を毛嫌いしている一方、決してそれに対して割って入る事はしない。
どちらかといえば苦手な相手と組む方が実戦的ではあるし、大きな怪我をして以来、身体の軸が狂ってしまった秋葉のためにはその方が勘を取り戻すには手っ取り早い。
それを影平も秋葉も理解しているのだ。
そんな理由もあり、秋葉も敢えて森下に対して反撃はしないのだが。
秋葉は自分が森下に投げられ、更に身体の何処かに駄目押しを食らうたびに曇っていく梶原の表情を見るのが嫌だった。



背負い投げの訓練中。
そんな事を考えていた所為ではないのだが。


森下が秋葉を投げた後で、いつものように身体ごと圧し掛かってきた。
通常ならば受身を取った相手にそんな事をする必要性はどこにもない。
だが、かわす暇さえ与えないように森下は右肘で秋葉の左肩を狙った。
僅かに秋葉の反応が遅れ、くぐもった嫌な音が響く。
立ち上がる森下を見上げ、秋葉が初めてその表情に苦痛を浮かべた。
「おら、立てや」
仰向けのまま、すぐには起き上がれない秋葉の腕を蹴る森下に、さすがに梶原が立ち上がりかける。
「梶原!」
その横から梶原の道着の袖を強く引き、影平が制止した。
「黙って見てろ」
秋葉は左肩を下にするように横向きになり、それから何事もなかったかのように立ち上がる。
ひとつ息を吐き。
だらりと下げた左手には触れもせずに森下に一礼し、畳を降りた。
「梶原!!」
秋葉の後ろから畳を降りてくる森下に。
影平の手を振り切って梶原が掴みかかった。
「森下さん!!あんた、いい加減に……っ!!」
影平と秋葉が、一瞬遅れて2人を引き離そうと間に入る。
正確には秋葉が後ろから右手を梶原の首筋に回して引きずり、影平が2人の間に割って入ったのだが。
「この、馬鹿!!」
梶原を床に引き倒し、秋葉は声を上げる。
「おい、そこ!何やってる!?」
地域課の係長がそれを見咎める。
「いや、何でもないです」
影平は森下の胸元を手のひらで押し、怒鳴った。
一部始終を見ていた陣野が起き上がった梶原に近寄り、その顔を覗き込んだ。
「お前。もう訓練いいからちょっと頭冷やせ。着替えて外周20周走って来い」
「……何で俺が!」
完全に頭に血が上ってしまった梶原は陣野にまで食って掛かろうとする。
陣野はかりかりとこめかみを指先で掻き、それからその手で梶原の頭を強く叩いた。
「い……っ」
「理由はどうあれ。森下に先に手を出したお前が悪い!!……という事にしておけ」
最後の言葉は周囲に聞こえない程小さく。
「じゃないと、地域課に示しがつかん」
もう一度梶原の頭に手のひらを振り下ろし、陣野は立ち上がる。
「ほら、さっさと行け!」
「はい!!」
次は蹴りが飛んで来そうな勢いで陣野に追い立てられ、梶原は更衣室へと走る。
「すみません、もう片付きましたから」
陣野はそう地域課の係長に向かって声をかけた。
「秋葉!」
異様な空気に包まれていた講堂が、通常の訓練に戻っていくのを確かめた後、陣野は秋葉を呼ぶ。
「はい」
「お前も、行け」
苦笑いを浮かべる陣野の言いたい事は、秋葉にはすぐに分かった。





そんな理由で、秋葉と梶原は走っているのだ。
「痛いんじゃ、ないですか、左肩」
「……ちょっと、ね」
さすがに10周を越えるあたりになって、梶原が疲れを見せ始めた。
「すみません、我慢、出来なくて……」
「バーカ」
「だから!!もう分かりましたって、言ってるでしょ!!」
息を上げながら、梶原は言う。
その額からは汗が流れ落ち、Tシャツも絞れる程は濡れている。
それは秋葉も同様なのだが、何故か涼しげな顔で秋葉は走り続けている。
そんな手応えも何も無い所が、恐らく森下の不興をかっているのだが。
果たしてそれを秋葉が理解しているかどうかは謎だ。
「森下のオッサンが…」
裏通りに差し掛かった時、秋葉は口を開いた。
「何であんなに歪んでんのか、って言うとさ……」
そして秋葉は森下の過去について梶原に話して聞かせた。
「あの人、すっげえ仕事が出来てたらしいんだよ、20代の時。機捜に引き抜かれて。同期の中では出世頭だったみたいだな」
「それは、初耳です。ってか別に聞きたくないです」
ふてくされて呟く梶原に、秋葉は笑う。
「まあ、聞けよ」
そもそも秋葉が他人について話す事自体が珍しいといえば珍しい。
梶原は走りながら次の言葉を待った。
「何であんなになっちゃったかって、思うだろ?」
彼は。
刑事の中でも生え抜きの捜査員が揃う機動捜査隊で、起こしてはならないミスをした。
「はあ?拳銃を、ですか」
「そう。拳銃を紛失させたんだ。16時間、ね」
機動捜査隊とは管轄内を常に覆面車で走りまわり、事件の一報が入れば真っ先にそこに駆けつけ捜査の体制を整える部署だ。
その巡回の途中、森下は拳銃を紛失した。
「まあ、それは見つかったんだけど。次の異動で免許センター行きになったらしい」
そこで10年近く。
たった一つのミスによって彼は燻り続けた。
「もう出世も望めないしな…ってのは俺も他人事じゃないけど?」
悪戯っぽく笑う秋葉に、梶原は顔をしかめた。
「念願かなって刑事畑に戻れた時には、同期はもう階級だって上に行ってるし。まあ、そんなこんなでひねくれてるんだとよ」
表通りに戻って、17周目。
しかし奥行きのほうが長い建物なので、2人はすぐに横道に入っていく。
「ああいう、分かりやすい人は嫌いじゃないよ。本当に恐いのは、裏で何考えてんのか分からない奴だから」
「だから、秋葉さんは我慢してるんですか?」
「違うよ」
その問いには即答で否定を返す。
「理由は幾つかあるけど。ひとつは、警察が強烈な縦社会だからさ。ああいう場では絶対に反撃はしない事にしてるんだ。現に、お前があんな事したら、変に注目されてただろうが」
仮にも目上の者に対して、手を出してしまえばそれは問題になりかねない。
秋葉は刑事を続けていくために、切実に、それだけは避けたいと言う。
「手を出した方が、負けなんだ」
「じゃあ、森下さんの方が負けじゃないですか」
「そう、だよ」
だから、秋葉は森下には反撃をしないのだ。
ようやく梶原はそれを理解した。
「あれ?でもああいう場では反撃しないって事は…?」
「俺はお前ほどお人好しじゃないからな…。色んな証拠を集めて、最後に一撃でオッサンの息の根を止める事が出来れば、それでいいんだ」
「………こわっ」
表通りに戻れば、後2周だと立ち番の若い新人制服警官が笑って言った。
「だから、言っただろ、本当に恐いのは…」
「裏で何考えてるか分かんない人?」
梶原の情けない声に、秋葉が笑う。
「でも、悪かったな、今日は…俺の所為で」
人通りの全くない、裏通り。
秋葉が本音を覗かせた。
「いいんです……」
梶原は呟いて、少し痛む肺に酸素を取り込む。
「もう、いいんです」
繰り返しそう言う梶原に、秋葉ももう一度、同じ言葉を口にした。
「バーカ」
「もう!!馬と鹿の間を伸ばしたら、何で本当に馬鹿にしてるみたいに、聞こえるん、ですかね!!」
叫ぶように言う梶原を、秋葉は横から真顔で見た。
「本気で馬鹿にしてるから、だろ?」
「もう!!ムカつく!!」
「はい、ラスト1周ですよ2人とも。どんどんタイム落ちてますよ」
暇を持て余しているのか、腕時計でタイムを計測していたらしい立ち番の彼にからかうように言われ、2人は最後の1周を全力で走っていく。

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