自動車警ら隊(リクエスト)

□居場所
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木々は、新緑。
玉砂利を敷き詰めた境内に、太鼓と笙の音が響く。
影平は、明るい境内から薄暗い社殿を見つめた。
「………うっわ…すげえ」
思わず影平は呟く。
そこには、薬師神がいた。
あまり詳しくはないのだが、日本史の教科書で見た事がある服装…狩衣、といっただろうか。
それを身に着けた薬師神が、彼の父親と2人で神楽舞の練習をしているのだ。
来月、この神社で毎年行われている夜神楽があり、毎年薬師神も仕事の調整がつけばそれに参加している。
昨日から実家に帰省していた薬師神と、久しぶりに外で飲もうか、という話になった。
それがつい数時間前の事だ。
15時には終わるからと言われたのだが、約束した時間よりも随分早く着きすぎてしまった。
よく見れば、2人は弓道で使うような大型の弓ではなく、小型のものを手にしている。
動きを確認するように時折足を止め、何事かを話し合う。
再び太鼓の音が聞こえ、薬師神は一拍遅れて笙が奏でる不協和音に合わせて舞い始めた。
普段職場で見ているのとは、全く別の人物のようだ。
時折見える真剣な横顔は、いつもと同じものではあったが。
気を散らせてはいけない、と、影平は社殿を一周するように境内を歩き始める。
聖域という言葉が、何よりもこの場所に一番似合うと思った。
余計なものが立ち入る事を許さない、清浄な空気。
静穏。
薬師神が身に纏う空気と、同じ質のもの。
太鼓の音と共に、足で床を打つ音が聞こえた。
数人で唱えている祝詞も。
刑事、という仕事は自分と同じでも。
生きてきた場所はこんなにも違うのだ。
今更ながら、影平はそんな事を思いながら社殿の裏側に回る。
ふと背後に気配を感じて振り返れば、そこには茶色の猫が歩いていた。
「…………よう」
別に猫好きな訳ではないのだが、くるりとした目で自分を見上げてきたその猫に、野良猫とは違う人懐こさを感じで影平はそう声をかけた。
案の定そのふわふわとした長毛種の猫は、にゃあ、と小さく鳴く。
そして、とことこと影平を追い越し、先を歩いていく。
「アンタはこちらの猫さんですか?」
別に猫に話しかける程、孤独なわけではないのだが。
骨格の太さからして、雄猫だろう。
彼は歩調を緩め、一度振り向く。
そしてまた、にゃあ、と鳴いた。
否定だろうか、肯定だろうか。
影平は笑った。
絵馬が奉納されている壁の横を通り、社務所の前に出る。
「大和」
僅かに開いた引き戸。
その奥から、澄んだ女性の声が聞こえた。
ぴくり、と猫は耳を動かす。
「おいで?大和」
影平は足を止めた。
聞いてはいけないものを、聞いた気がした。
結局猫は。
鳴きもせずに社務所を通り過ぎ、階段へと消えていく。
いつの間にか、社殿から聞こえていた音が止んでいた。
「あれ?早かったね」
ちょうど、頭と同じ高さの社殿から。
薬師神の声がした。
見上げれば。
薬師神は額から流れる汗をタオルで拭き、ひとつ息をついた。
「何……そんな顔して」
しばらくの間、大きく目を見開いて影平は薬師神を見つめていた。
常ならば顔を見ればすぐにでも軽口を叩き始める彼の、その表情に、薬師神は若干の居心地の悪さを感じる。
「ヤクって、本物の神主さん、なんだな……」
ようやく影平はそう呟く。
「何だ、それ」
子供のようなその言葉に、くすりと薬師神は小さく笑った。
影平は浮かべかけた笑みを飲み込んだ。
先程の出来事を思い出してしまったのだ。
薬師神の母親は、彼を『大和』とは呼ばない。
もう1人の息子である、薬師神の双子の兄の名で呼ぶのだ。
母親にとって、薬師神は『亡き者』なのだ。
薬師神本人から、その話は聞いていた。
ただその現実を目の当たりにすると、その異様さに寒気がする。
「10分、待ってて。汗流して着替えてくる」
「おう……」
社務所へと続く通路を通り、薬師神は姿を消した。
「………ご無沙汰しています」
薬師神の父親と目が合い、影平は神妙に頭を下げた。
厳格そうな雰囲気の彼は、丁寧に影平に向かって一礼した。
「こちらでお待ちになりますか?」
「いえ、まだお参りさせていただいていないので」
社務所を示されたが、とてもそんな気にはなれず。
影平は笑ってそう言った。




賽銭を投げ、影平は手を合わせる。
何を祈ろうかと思ったが、結局思いつかず、それは形だけになったのだが。
にゃあ、と甘えた声が足元から聞こえた。
「…………なんですか、アンタ」
また、あの猫だ。
影平の足に尻尾を絡め、甘える。
撫でろ、といわんばかりに転がるので、仕方なくしゃがみ込んで右手を彼に伸ばした。
しばらくゴロゴロと喉を鳴らしていた彼は、不意に顔を上げる。
その視線を追うと、そこに社務所から出てきた薬師神が立っていた。
「………影平って、猫好きだったっけ?」
「………別に」
言葉通り、身支度を整えるのにかかった時間は10分。
しかし髪はまだ少し濡れているようだった。
「お前、風邪引いても知らねえぞ?」
一刻も早く。
この場所を離れたい。
正常な日常へと戻りたい。
そんな思いがそこから見て取れたが、敢えて影平はそう冗談めかして言った。
「馬鹿は風邪引かないから、いい」
笑って言う薬師神の顔つきは、刑事へと戻りかけている。
「へえ?ヤクって馬鹿だったんだ?」
「そうだよ?知らなかった?」
そんな会話をしていると。
猫は薬師神に纏わりつき始める。
「やーまと……」
薬師神は、笑み。
その猫を小さくそう呼んだ。
「これ、迷い猫の大和君」
あなたのおうちは何処ですか、と、薬師神は猫を撫でて呟いた。
「翔?何処へ行くの?」
薬師神の背後、社務所の中から。
またあの声がした。
薬師神の表情が失われるその瞬間を、影平は見る。
冷めた表情から、少しだけ唇に笑みを乗せ。
顔を上げる頃にはまた、別のモノになる。
「部活だよ?夜には帰るよ」
「そう……気をつけてね?」
薬師神の母親は、そう言って扉を閉じる。
その姿が見えなくなるのを確認し、薬師神は影平と目を合わせた。
「行こうか?」
「………部活へ?」
茶化してやる事しか出来ず、影平はそう言った。
「バイバイ、大和君」
薬師神は猫に手を振り、楽しげに笑った。
無言のまま、境内を抜けて階段を降り、鳥居をくぐる。
ここから先は、現実の場所。
ようやく逃れた、という表情で薬師神は肩の力を抜いた。
何となく、2人は川沿いへと歩く。
駅とは反対の方向だ。
落ち着きたい時には、いつも。
幼い頃から薬師神は川へ行っていたという。
それを知っていた影平も、何も言わずに彼の隣を歩いていた。
「何か、飲む?」
GW前の平日。
気温は高い。
自販機の前で足を止めた薬師神に問われ、影平はポケットから小銭入れを出した。
「俺が奢ってやろう。今ヤクより一個年上だし」
「財布の中身は、多分俺の方が上だけどね?」
「うるせっ」
影平は、かしゃん、と500円玉を硬貨投入口に飲み込ませる。
「あったかいのがいいな……」
「んじゃ、もうコレしかねえじゃん」
影平は、薬師神の返答を待たずに、缶入りミルクティーのボタンを押す。
「ありがと」
音を立てて落ちてきたそれを取り、薬師神は呟いた。
「俺も同じもんにしよっと」
続けて影平は同じボタンを押す。
缶は素手で持つには少々熱過ぎる程になっている。
しばらく誰も買っていないのだろうな、などと影平は想像してみた。
川沿いに着くと、小型の船が船外機の音を響かせて上流へと走っていく。
すとん、とコンクリートの階段に腰を下ろし。
薬師神は、深い溜息をついた。
「遼……」
「……なんだよ」
時折、薬師神は影平を名前で呼ぶ。
その時彼は、どんな精神状態なのか。
それもよく知っているつもりだった。
「さすがに、疲れた……」
何に、とは聞くまでもなく。
影平は薬師神の隣に座る。
「刑事だったり神主だったり。兄貴の振りをしたり。擬態しすぎちゃってさ。それがまたうまく出来ちゃうもんだから……」
缶を手のひらの中で転がし、薬師神は目を細めた。
「どれが本当の自分か、たまに分かんなくなる」
いくら訴えても、母親には通じない。
もうあなたが愛した息子のひとりは、ここには居ないのだと。
その現実を彼女は受け入れずに逃げ続ける。
いつか、その母親のためにも、双子の兄を見つけるつもりで薬師神は警察官になったのだ。
ただ、母親に『薬師神大和』として認識されたいという願いだけで。
たったひとつ、しかし幼い頃からの切なる願い。
「しばらく帰って無かったらさ。猫に……俺の名前つけてんの、あの人」
薬師神は、それが可笑しくてたまらないというように笑う。
「何か、新手の嫌がらせかな?とか思って……笑えた」
「……大和」
影平は、日光を反射して光る川面を見つめたままで、彼の名を呼ぶ。
薬師神の言葉を止めるためだった。
「笑えない。俺は」
「…………」
いつになく真剣な影平の声音に、薬師神は押し黙る。
「笑えるかよ。お前が……殺されてるのに」
たとえ今、隣にいる薬師神の姿が擬態であろうと何であろうと。
それは別に問題ではないのだ。
「俺は……自分の目で見た事でしか、物事を判断できないけど」
「………勘で生きてる野生人だからな?」
薬師神は笑い、両足を伸ばした。
「うるせえっての」
影平はその足を左足で蹴る。
「ああ!何が言いたかったのか、分かんなくなっちまったじゃねえかよ!!」
お前のせいだ、と再び薬師神の足を蹴り、影平は口を尖らせた。
その後で、上着のポケットから携帯を取り出す。
ボタンを操作し、影平は携帯を右耳に当てた。
「あ、千佳?うん。今日、外で飲もうかって言ってたんだけど!ヤク、連れて帰っていい?」
「……遼?」
千佳、というのは影平の妻の名前だ。
薬師神が咎める前に、影平は通話を切ってしまう。
「晩飯作るから、19時過ぎたら帰って来いって」
「そんな急に……千佳ちゃんにも迷惑だろ」
眉をひそめる薬師神に、影平は笑う。
「あいつは駄目なら駄目ってちゃんと言うから。大丈夫だよ。あと3時間ちょいあるし、お前ともゆっくり話できるだろ、その間に」
「………ファミレスで?」
「そう。ドリンクバーで粘る」
ファミレスとドリンクバーというキーワードは、何となく2人に警察官になった駆け出しの頃を思い出させる。
それを少し懐かしく思い、薬師神は笑んだ。
「なあ、大和。お前の居場所、ちゃんとあるから」
たとえ、生まれた場所にそれが無かったとしても。
薬師神はそれを構築するために、足掻きながら生きてきた。
その過程を、誰よりも影平は知っている。
「……うん……」
何処にそれがあるのか、薬師神にも分かっていた。
影平は、少し冷めたミルクティーのプルトップを開ける。
その小さな音に、薬師神は随分と呼吸が楽になっている事を感じていた。

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