公安第一課(裏?)

□heart's-ease
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大丈夫
怖がらずに目を開けて。

見て?
何も怖い事なんてない。

ちゃんと見て?
あなたが思っているような
悪い事は
何も起こらない

大丈夫

目を開けて

もう一度、笑って



誰かが俺の手を握り締めていた。
それが誰の手であるかは認識できない。
俺の意識は深い水の底に沈んでいるようで、時折何かの拍子に感覚が戻った時だけ、それが分かった。
何度か訪れた『危機的状況』を乗り越えて、俺は今生きているらしい。
「………さん」
誰かが俺の手を握って、俺の事を呼んでいる。
目を開けて側にいるのが誰なのか確認したいのだが、ものすごく億劫で。指先さえ動かしたくないほどの疲労感はいったい何だろう。
「秋葉さん」
暗闇を漂う意識の中で、少しはっきりと声が聞こえた。
この声を、知っている。
すがるものが何もなかったあの時。
俺を呼び続けた、声。
「怖がらないで…目を開けて」
別に怖いわけじゃない。
ただ、疲れてるんだ。なんだか身体が自分のものじゃないみたいで。
半分意識が戻ったら、馬鹿みたいに痛いし。熱いし、苦しいし。左肩から腕は感覚すら無い。
俺はそう思いながらも、何とか重い瞼を開けようと努力した。
「起きて………」
ぱたり、と手の甲に水滴が落ちた感触。
ああ、これは涙かもしれない。早く目を覚まして、言わないと。
俺の事で泣かなくていいって。
また水滴が落ちてくる。俺はようやく薄く目を開ける事ができた。
「……泣く…な……」
何、今の。自分の声じゃないみたいだ。がらがらに掠れて、おまけに喉が痛い。酸素マスクが邪魔で邪魔で仕方が無い。
自由にならない身体がもどかしかった。
でも、俺は自分の手を握る彼の姿を見る事ができて、少し安堵した。
彼が、俺を呼んでたんだ。
ひどく冷たかった指先を包んで、名前を呼んでくれた。
何だか……那智に似てる。
「な、ち…ですか?」
声にはならなかったが、俺の唇の動きを見て、茶色い髪の彼はそう問う。
何だったっけ。那智って。
思い出せない。ついでに言うと、彼の事も知っているような気がするけど、今はあまり思い出せない。
「あ、分かった。那智だ」
彼はにこりと笑んだ。
「昔飼ってったっていう柴犬の名前、じゃないですか?前にそんな話してましたよね」
そうか柴犬か、成程。
と俺は妙に納得した。




「もー、どこまで俺って犬に似てるとか、言われるんですかねえ!?この前崎田さんにも言われちゃいましたよ」
秋葉が放り投げて渡した缶ビールのプルトップを開け、梶原は口を尖らせる。
それを見て、秋葉は笑みを浮かべた。
「また!そんな冷たーい笑いしちゃって。秋葉さんだって、あの時意識が戻って最初に俺に向かって那智って言ったんですよ!?ひどいですよ」
「………そうだっけ」
「いや、実際は『泣くな』でしたけど」
首をかしげた秋葉に、梶原はビールを一口飲んでそう言った。
「お前、役に立たない記憶力はあるよな」
「いいですよ、もう」
ふてくされたように、またビールを流し込む。秋葉は梶原の手から缶を取り上げ、テーブルの上に置いた。
「俺も、覚えてるよ。お前が俺を呼ぶ声が聞こえたから」
秋葉はそっと右手を伸ばして、梶原の茶色の髪に触れた。
「あの時……このまま死ぬのかなって漠然と思ってたけど、すごく静かで怖くなかった」
秋葉が自らの『死』を口にする時、梶原はひどく切なくなってしまう。
泣きそうに顔を歪めた梶原を見つめて、いつもは見せないような優しい表情で秋葉は笑った。
「こんなに穏やかで静かなら、死ぬのも怖くないと思ってた。でも、このまま死にたくない、とも思えた。だから」
たったひとりで、自分の力だけで、生きているのではないのだと。
安心して目を覚ませばいいと。
名前を呼んで、手を取って教えてくれた。
「………ありがとう」
「………」
ひどく穏やかな言葉に、梶原の両目から涙が溢れる。それを見て、秋葉は苦笑した。
「泣くな」
「……泣いてません」
そう言い張る梶原の涙を、少し眩しげに見つめて。
「泣くな。俺は、生きてるから」
秋葉はもう一度そう言って、梶原の頬を指先で撫でた。
「生きて……傷と向き合ってみるから」
だから。
怖くない、といつも言い聞かせて。
行き先を見失わないように。
「……本当は、怖いくせに…」
梶原は頬に触れた秋葉の手を取る。
秋葉を苦しめる記憶のフラッシュバックは、何度見ても壮絶なものだった。
仕事中にそれが起こらないのが不思議なほどに。
持てる精神力の全てを使って、秋葉は刑事として生きていこうとしている。
「怖いよ……だから、お前が見ていてくれるんだろ?」
秋葉はそう呟いた。
「見られたく…ないくせに…。絶対に、心の中を見せてくれないのに」
梶原の言葉に、秋葉は困ったような顔をした。
「ビール一口で酔ってんだろ」
「酔ってないです!」
何気ないじゃれ合いでも。


heart's -ease
心の安らぎ

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