公安第一課(裏?)

□Holding on
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たどり着けない
あなたの傷に
少しでも触れることができるなら

たどり着けない
あなたの心に
少しでも触れることができたなら



『殺してやる』
あの声が聞こえて。
それでこれが現実ではないと分かった。
秋葉は懸命に目を開けようとする。
『殺してやるから』
……本当にこれは現実ではないのだろうか。
ふと胸に沸き起こった疑問。
ひどくリアルな痛みが身体を襲う。
助けを呼ぼうにも、声が出せない。
このまま呼吸が止まるのが先か、それとも痛みで気が狂うのが先か。
(もう、どちらでもいい……)
あまりに疲弊した神経が、もう諦めるようにと訴えてくる。
「秋葉さん!!」
ふと遠くから自分を呼ぶ声がして、それと同時に身体を強く抱きしめられた。
「息吸って!!」
耳元で叫ばれて、秋葉は初めて自分が呼吸を止めていたことに気がついた。



きっかけは、キッチンのシンクから、グラスが床に落ちたことだった。
甲高い音とともに、床に砕け散るガラスの破片。
そんな些細な事でも、記憶の追体験が始まってしまう。
「大丈夫ですか?」
喉が渇いたと言って、キッチンへ行った秋葉だったが、しばらくしてグラスが割れる音がした。
梶原がキッチンを覗いた時、秋葉は尖った破片をひとつ持ったまま、床に座り込んでいた。
恐らく、破片を拾い集めようとしていた途中で。
それが始まったのだと、梶原は思った。
普段は自分の奥底に封じ込めている記憶が、自分の意思とは関係なく突然再生される。
フラッシュバックと言われる現象が秋葉の身に起きるのを、梶原は何度か目撃していた。
「手、開いて」
秋葉の強張った手のひらを無理矢理開かせて、破片を落とす。
「つ…っ」
すっと指先に痛みが走った。梶原は、自分の右手の人差し指から溢れた血液はそのままにして、秋葉の身体を破片から遠ざける。
自分も床に座り、梶原は秋葉を抱きしめていた。
秋葉から伝わってくる鼓動が速い。
時間や場所は関係なく、一気に『あの時』へと引きずり戻される意識。
まるで実際に、今それが起きているかのように襲ってくる痛みに、抗う術がないまま。
秋葉は左肩を押さえている。
呼吸するたびに痛むのだろう、額に汗が浮かんでいた。
「息吸って!!」
そのまま意識を手放そうとする秋葉を、梶原は呼び止める。
秋葉は数回咳き込んで、ようやく呼吸することを思い出したように一度息を吸った。
「ちゃんと息吸って、秋葉さん」
「……も、う…いい…」
それは、梶原に対して発せられた言葉ではなかった。
「殺し…て…」
眉間にシワを寄せ、まだ朦朧とした意識の中で秋葉はそう呟く。
「駄目です」
浅い呼吸を繰り返す秋葉に、梶原は言った。
「死んじゃ駄目です」
意地の悪い死神には、まだ渡せない。
秋葉は薄く目を開けた。
「相模、は…?」
掠れた声で問われ、梶原は首を横に振った。
「ここにはいません」
「……どこへ…行った…?」
左肩から離した右手が、何かを探すように動いた。
それは、病院でも見られた行為で。
秋葉が銃を探しているのだということは、すぐに分かった。
「秋葉さん。ここは秋葉さんの部屋です。相模は拘置所にいます。この前、裁判にも行ったでしょ?」
梶原は、噛んで含めるように秋葉に言い聞かせる。
「…………」
視線が定まり、溜息と共に吐き出された声。
「……悪い……」
「このまま、眠って」
疲れきった表情の秋葉に、梶原は言う。
「破片を片付けるのは、後でいいから」
「お前…指…」
梶原の指先を見て、秋葉が呟く。
「大丈夫です。あ、でもごめんなさい。Tシャツ汚しちゃいましたね…」
秋葉の白いTシャツに赤い染みが幾つか残されてしまった。
「………」
秋葉は首を振り、やがて梶原の腕の中で、再び目を閉じた。

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