公安第一課(裏?)

□明け方の声
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明け方の

混沌とした
ヒグラシの声に

気が狂いそう

それはまるで

疲れ果てた魂を

黄泉へといざなう

弔いの唄のよう


ふと耳元で甘く囁く

死者の声



眠る梶原をベッドの上に残し、秋葉は部屋の片隅で壁にもたれて座っていた。
昨晩はいい風が吹いていたので、クーラーを切って窓を開けていた。
カーテンを時折揺らし、その風はまだ部屋の中に入ってくる。
今が何時なのかを知りたいとは思わなかったが、徐々に白み始める外の明るさが、ようやく夜が終わり、朝が来るのだと告げていた。
「…………」
眠れぬまま、秋葉は夜明けを待っていたのだ。
感情を遮断して何も感じないように。
ただ耳に届くのは、不協和音にも似たヒグラシの鳴き声。
秋葉はそれを、虚ろに聞いている。
死者に誘われているような錯覚を覚えながら、深く引きずり込まれていく感覚をそのままに。
秋葉は一度目を閉じる。
夏の朝に起こる、軽い目眩。
マンションの前にある公園で、いつからか鳴き始めたヒグラシ。
幼い頃は、『ヒグラシ』という名を持つ彼らが何故明け方にも鳴くのか、不思議だった。
取り留めのない事を思っているうちに、その鳴き声が不意に一斉に止まる。
それをきっかけに我に返り、目を上げると。
そこに、梶原がいた。
「……おはようございます……」
両膝をついて秋葉の顔を覗き込み、梶原は静かに言った。
伸ばした指先で触れた秋葉の頬の冷たさに、眉をひそめる。
秋葉はふと笑んで、目の前にいる梶原の背中に両手を回した。
「また…眠らずにこんな所に座ってたの?」
秋葉は梶原が問う声で、生きている者の世界へ引き戻される。
「………ヒグラシが……」
掠れた声を押し出しながら、今、何を考えていたのだろうと自分の心を探ろうとした秋葉の意識がぐらりと揺れた。
「……鳴いていた……さっきまで……」
力を失ったように梶原の背中から手を放して、微かに震えた声で秋葉は呟く。
無造作に外された白いシャツのボタンから、覗く首筋。
秋葉の痩せた背中を抱き締めた時の感触が、梶原の手のひらに残る。
「死んだ人の声、みたいに……」
再び視線をどこか遠くへ向けて、まるでその目にこの世とは違うものを映しているかのような、その耳にこの世のものではない声を聞いているかのような秋葉の表情に、梶原は不安を覚えた。
明け方と夕刻に、鳴くヒグラシ。
この世の岸辺とあの世の岸辺が近づく時刻。
秋葉はまた、梶原には聞こえない誰かの声を聞いていたのかも知れない。
「秋葉さん……」
梶原は、秋葉の右頬に触れた。
「……ん…?」
少しだけ優しげな笑みを浮かべ、秋葉はその手のひらに頬を預ける。
「どこにも、行かないで……」
何かを言おうとするように開かれた秋葉の唇が、その肌の青白さに比べて僅かに赤く。
そこから黄泉へと誘う唄声が紡ぎだされそうで、梶原は秋葉が言葉を発する前にその唇を塞いだ。
そっと抱き締めたその身体を床へと横たえる。
ことり、と床に投げ出される両手。
真夜中を思わせる黒い髪と、死人を彷彿とさせる瞼の翳り。
透けて見える頚動脈が命を刻む動きを見せている。
そして微かに上下する胸元の動きと、赤い唇が無ければ。
…………まるで死者と同じ。
「俺を、見て……秋葉さん…」
秋葉は再び虚空に視線をさ迷わせる。
梶原はその黒髪を慈しむように何度も指で梳いた。
静寂の朝。




8月は死者の月

さ迷う魂は黄泉へとそっと誘われ

その唇は

密やかな唄を紡ぐ

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