公安第一課4(裏)

□無題
1ページ/2ページ

秋葉は貸し出された拳銃に銃弾を装填し、右手で銃のグリップを確かめるように握りしめた。
一度ホルダーにそれを戻し、イヤーマフとシューティンググラスを身に着ける。
雑音が遮断され、視線の先にある標的がより鮮明に見えた。
実際に現場で拳銃を使用する機会はほぼ皆無で、それでも技術を磨くために定期的に訪れている術科センターの射撃場。
薄暗い長方形の空洞のような空間だ。
一度、目を閉じて深い呼吸をしてから秋葉はゆっくりと銃を構える。
毎年春に行われる警視庁の射撃大会に、今年は秋葉が刑事課の代表として出場する事になった。
交番勤務をしていた頃からこれまでに数回出場選手に選ばれた事はあった。
好成績を残した事もあるが、今はもうそんな事にも興味が持てない。
ただ、代表としての役割をそれなりに果たさなければならないという思いがあるだけだ。
相模によって左肩を撃たれた後、自分が思っている位置に銃弾を撃ち込む事が難しくなった。
何度も弾道を修正した結果、最初に何も考えず銃を構えた位置から僅かに左肩を引くと、以前と同じ程度には標的に弾が当たるようになった。
ただ、それを咄嗟の判断が求められる現場でも行動に移せるかと言われれば自信がない。
訓練や大会以外の場所で銃を使う事さえなければそれでいいのだが。
トリガーにかけた指に力を入れる。
弾丸が発射され、グリップを握りしめた右手とそれに添えた左手から腕、肩へ、重い衝撃が伝わった。
装填した弾丸全てを撃ち終えると、何とも言えない微妙な気分になる。
どうして、あの時。
相模を撃つ事が出来なかったのか。
空の薬莢を集めながら、秋葉は溜息をついた。
秋葉と同じように訓練をしている警官が数人いたはずだが、ふと背後に気配を感じて秋葉はイヤーマフを外しながら振り向く。
「よう」
「……?」
秋葉の背後にいたのはスーツ姿の2人の男性だった。
やけに馴れ馴れしく感じる態度に、秋葉は無礼にならない程度に眉をひそめる。
2人とも秋葉よりも長身で体つきががっしりとしている。
年齢は秋葉と同じか、幾つか上かもしれない。
何処かの署の刑事だろう、とは思ったが、秋葉には彼らと関わりがあった覚えがなかった。
「何か?」
さっきまで他のレーンで訓練をしていた人影がない。
この2人がそれだったのだろう。
そう判断して秋葉は2人に問う。
「記憶が無いってのは本当みたいだな」
(ああ、そういう事か)
そう思った途端に気分が更に冷めていく。
以前、何処かで自分と関わりがあった人間なのだろう。
疑い半分、興味が半分といったあまり上品とは言えない笑みに嫌気がさし、秋葉は2人から目を逸らして片づけを始めた。
相模の事件からというもの、こういった輩には時折絡まれる。
例えば警察学校の同期であったり、以前同じ交番に勤務していた同僚であったり。
秋葉に関わると死ぬ、という噂を信じて距離を置く者がいる一方で、興味本位で秋葉を試す者がいるのもまた事実だ。
秋葉にとって前者はあちらから関わりを絶ってくれるので楽なのだが。
後者はかなり扱いに困る。
銃と備品を確認返却し、更衣室のロッカーに置いた私物を取りに行く間も2人は秋葉の後をついてきた。
徹底的に無視をしていたのだが、ロッカーの鍵を開け、扉に手をかけた処で威嚇するように片方の男が手のひらで扉を叩く。
「秋葉。お前俺たちの事覚えてないか」
「ええ、全く。どいてもらえませんか」
大塚署で自分に与えられている更衣室のロッカーは嫌がらせを受けてボロボロになっている。
ようやく来月扉を交換してもらえる事になったが、自分は何かとロッカー攻撃にあう事が多い。
そんな事を頭の片隅で考えていると、目の前にいる2人が人間だと思えなくなってくる。
「警察学校で、可愛がってやったのに?」
それでは同期、という事か。
と秋葉は思う。
思っただけで、他には何の感情もない。
「相変わらず澄ました顔しやがって。忘れたなら思い出させてやろうか」
片方の男の手が、ネクタイを外した秋葉のシャツの胸元を掴む。
強く引かれ、ボタンが2つ弾けて飛んだ。
(ああ、そういう、事か)
何処にでもこういう輩はいる。
当時の自分が一体この2人に何をされたのか、自分が何をしたのかは思い出せないが。
思い出さない方がいいのかもしれない。
秋葉は男の腕を掴み、彼の背後に回り込みながらその腕を捻りあげる。
足を払い、大柄な身体を床に倒すまでに数秒。
相手が1人ならこのまま背中を膝で圧迫して動きを止めるのだが。
もう1人いるのは厄介だ。
秋葉は素早く間合いを取る。
「本当に、相変わらずだな」
今まで口を開くことのなかったもう1人が笑う。
警察官である以上、柔剣道は有段者ばかりだ。
「……クズが」
ふと言葉が秋葉の口をつく。
男は楽し気にまた笑った。
一気に間合いを詰められ、勢いのまま身体ごとロッカーに押し付けられる。
先ほどの手のひらとは比べものにならない音が響いた。
「死ねよ」
低く囁かれ、今度は秋葉が笑う番だった。
喉を腕全体で押し上げられ、呼吸が止まる。
「何をしてる!!」
自由になる右足で自分に覆い被さっている男の脇腹に膝を蹴り込んだのと、更衣室の扉が開いてそんな鋭い声が聞こえたのは同時だった。
(……最悪)
入ってきた人物は、声で分かった。
本庁捜査一課の刑事で、和田という男だ。
相模の事件から何かと会う事が多い。
全て事件が絡んでの事で、会って楽しい訳ではないが。
この状況を見られたのは最悪だ。
「貴様ら、所属と階級を言え!」
さすがに本庁の刑事の威圧感は、所轄の刑事とは、特にこういう姑息な人間とは比べものにならない。
所属と階級を告げる事なく、2人は転がるような勢いで更衣室を出ていった。
「大丈夫か、秋葉」
圧迫が解かれ、自分の意思とは反対に身体が酸素を求める。
激しく咳き込む秋葉の背に手をかけて和田がそう言った。
「秋葉」
胸元にかけられた手。
舐めるような目つきと声と。
(思い出さない)
押し込めた記憶の蓋が開いてしまったら、このままではいられない。
和田の声を聴きながら、意識は都合よくブラックアウトしようとした。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ