公安第一課4(裏)

□無題
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「締められているのに全力で足蹴りを繰り出せば、そりゃあ落ちるに決まってる。意外に考えなしな事をするんだな」
「……すみません」
和田は秋葉をそのまま更衣室で少し休ませた後、自分が乗ってきた覆面車に乗せた。
助手席に座り、秋葉は和田に頭を下げる。
「あれは…知り合いか」
先程の2人について、和田は軽い口調で問う。
「いいえ。俺には分かりません」
本当に分からないのだから仕方がない。
思えば和田とはそんな会話ばかりだ。
相模との事について聞かれた時も、秋葉は分からないとしか答えようがなかった。
「とりあえず、そのシャツをどうにかしないとな。三島課長が心配する」
秋葉が右手で握りしめているシャツの胸元をちらりと横目で見て、和田は溜息をついた。
「それ破られた時点で逮捕できる事案だぞ?」
「………逮捕してどうするんです。どうにもならないでしょう?」
秋葉はくすりと笑う。
「まあ、そうだな」
和田も笑い、少し遠回りにはなるがスーツを取り扱っている店へと向かう。
最近は大塚署に捜査本部が設置されるような大きな事件は起きていない。
和田が秋葉と会うのも久しぶりだった。
「今更だが。元気だったか」
最初の出会い方が少しばかり特殊だったために、気安く話せる間柄ではなかったが、和田は秋葉にそう言った。
体調くらいは尋ねてもいいだろう。
「おかげ様で」
秋葉もまた、何度顔を合わせても和田には一定以上の距離を置く。
最早出世にも興味はなく、ただ淡々と目の前で起きる事案の事だけを考えているのだろう。
大塚署にほど近い場所にあるスーツショップの側にあるコインパーキングに車を停め、和田は無言で秋葉を促した。
秋葉は軽く溜息をつき、車を降りる。
「まあ、元気、なのかな?」
足早に店の方へ歩いていく秋葉の後ろ姿を見ながら、和田は呟く。
あれから何年が経っただろう。
毎年春になると、和田も少なからず相模の事件を思い出す。
事件そのものというよりも、瀕死の獣のようなひやりとした目をしていた秋葉の事を思い出すのだ。
(瀕死もなにも…実際心臓が止まってたらしいけどな)
あの時の姿を知るひとりとしては、今日こうして秋葉が生きて刑事を続けている事が半ば奇跡のようにも思える。
先程見せた、暴力に抗う様子を見ても。
まだまだ彼が現実に立ち向かっていく力を持っている事を示している。
それをここで密かに喜んでやるくらいは許されるだろう。
「……すみません。ご迷惑をおかけして」
やはり足早に戻ってきた秋葉は、ネクタイを締めていなかった。



関係者用の駐車スペースに覆面車を停め、和田はそこで秋葉と別れる。
秋葉は署員が使う駐車場から直接署内へと入るドアへ。
和田は表の2階へと続く階段へと向かう。
恐らくまた刑事課で顔を合わせる事にはなるのだが、一緒に行動しない方が彼にとっては気楽だろう。
和田は立ち番の警官に声をかけ、務めてゆっくりと階段を上がる。
1階の受付で刑事課の三島課長への取次ぎを頼み、そこでもう3階へ上がっているだろう秋葉とは2分の差が出来た。
(これくらいでいいかな?)
何だか秋葉と秘密を共有した気分になり、それが少し愉快になる。
3階へと上がりながら、階段の上から声がする事に気付いた。
「秋葉さん?それ朝と違うシャツですよね?ネクタイもしてないし。何かあったんじゃないですか」
「………お前は俺の保護者か」
「それに近いものだと思ってますが?何か問題でも!?」
どこにでも目ざとい人間はいるものだ。
和田の目には着替える前のシャツと後のシャツはほぼ同じに見えた。
ネクタイの有無はさすがに気付くだろうが、それをしていないからといって別段咎める事もあるまい。
「下まで声が聞こえてるぞ」
踊場から、声の主を見つけて和田はそう言った。
「………あ。和田さん」
それまで浮かべていた険しい表情をころりと笑顔に変えたのが、梶原だ。
大塚署の刑事課から警視庁捜査一課へ誰かを引き抜くなら、この男か薬師神のどちらかだと和田は思っている。
年齢と経験で、薬師神が大きくリードはしているのだが。
梶原の笑顔は全く卑屈なものではなく、顔見知りの刑事が思いがけなく現れた事に対する純粋なものだ。
それが和田にはひどく好ましい。
「秋葉のシャツが変わった秘密、教えてやろうか」
「和田さん!!」
秋葉が焦った声を出すのも珍しい。
今日は思ったよりもいい日かも知れない。
後で先程の馬鹿な2人が何処に所属しているのかを調べて、上司に報告はしておこう。
「教えてください、是非。秋葉さん嘘しか言わないので」
梶原が笑みを消して真顔になる。
「いや、知らん」
意外に梶原も威圧的な表情が出来るのだ。
これも新たな発見だろうか。
梶原が本当の事を知ったら、あの2人はただでは済みそうにない。
とりあえず、知らないふりを装って、和田は刑事課のドアをノックした。
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