公安第一課4(裏)

□三分の一
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「お疲れ様でした」
残業と夜勤組に声をかけ、秋葉は刑事課を後にする。
12月25日、夕刻を過ぎて外はもう暗い。
冬至を過ぎればそこからは昼間が少しずつ長くなるのだが、それを実感するのはまだまだ先の話だ。
仮設庁舎から出てゆるい坂道を下り、高速の高架下を歩く。
その先、左手にて工事中の新庁舎をちらりと眺め、護国寺の駅へ。
階段を降りるとようやく強い北風から解放される。
代わりに、地下鉄の車両が起こす風が微かに吹き上げてきた。
数分後にホームへ滑り込んだ車両に乗り、秋葉はいつものようにドアの側に立つ。
ふと疲労を自覚して溜息を零したのが、もうひとつの人格が浮かび上がる契機だった。
『……誕生日、おめでとう』
黒がそう話しかけてきた。
秋葉は心の中だけて、ありがとう、と言葉を返す。
『俺からのプレゼントはお風呂場の棚の上に隠してあるからね、後で探してね?』
何故、風呂場の棚などというマニアックな場所に。
周囲には気付かれない程度に秋葉は首を傾げる。
「おうちに帰ったら、俺おとなしくしてるからねっ!!邪魔とかしないから!!かじわらとのんびりしてね。最近仕事忙しかったし」
黒があれこれと話しかけてくる。
それに対して現実には表情を一切変えず、秋葉は自分の内側だけて黒との会話を成立させていた。
(この状況にも、慣れたなあ……)
黒という人格が現れてから、もう何年になるだろう。
黒は幼くて、それでも主人格である秋葉の事を守ろうとしている。
守ろうとしているからこそ、生まれた人格なのだ。
秋葉にはこの世に生まれた日があるが、黒にははっきりとしたそれがなかった。
黒に秋葉とは違う『その日』を与えたのは梶原だ。
あれからずっと、秋葉は黒と身体を共有しながら生きている。
つくづく、梶原という人間は、他人を救う事に長けている。
数えきれない程、秋葉は彼に救われて来た。
この生命は、梶原に生かされているも同然だ。
きっと黒もそうなのだろう。
秋葉の中の攻撃的な部分のみを引き受けて生まれ、自分自身も梶原も消してしまおうとしていた黒は。
梶原に名を与えられ愛されて、本来の自分を取り戻した。
あれから何年が経っただろう。
全てを失って生きる意味すら見失ったあの日から。
あの時の自分は、こんな未来など描けなかった。
『まーた、余計な事考えてる。しゅうじってホントに駄目駄目人間だよね』
「……うるさい」
とうとう、秋葉は小声ではあったが実際に黒へ反論してしまった。
それを聞くものは黒以外、誰もいなかったが。



自分の部屋に、自分以外の人間がいて。
灯りをつけて自分の帰りを待っていてくれる。
以前は飲み込み難く形容し難い違和感があった。
それが今は、ごく自然に受け入れられるものになっている。
「おかえりなさい、秋葉さん」
玄関の扉を開けると、梶原がいて。
そう声を掛けられる。
「ただいま」
時間をかけて、自然に。
秋葉は梶原と、そのやりとりが出来るようになった。
おかえり、という言葉も。
ただいま、という言葉も。
秋葉には一時期不必要な物だった。
もう二度と、誰ともそんな言葉を交わす事はないと思っていたし、交わすべきではないと思っていた。
梶原は常に忍耐強く、秋葉がそれに慣れるのを待っていた。
言葉を交わす相手がいる事が、如何に幸せな事か。
時間をかけて秋葉に教え、その感覚を思い出させた。
今、秋葉はそれを幸せだと自覚できる。
「……」
時間にすれば数秒だが、そんな事を考えながら梶原の顔を見つめていたようだ。
ふと梶原が心配そうな表情で右手を秋葉の額に伸ばしてきた。
「顔、赤いですけど。熱でもあります?」
「ない」
途端に秋葉は自分が考えていた事が恥ずかしく思えて、梶原の手から逃れた。
「着替えてくる」
靴を脱いで梶原の横をすり抜け、秋葉は定位置に鞄を置く。
手を洗い、うがいをして。
スーツを脱いで私服に着替えると、一気に緊張感が解けて呼吸をするのが楽になった。
「お誕生日、おめでとうございます」
キッチンにいる梶原の元へ行くと、まず抱き締められてそう言われる。
「ありがとう」
「ご馳走はいらないって言ってたから、ケーキだけ買ってきたんです。姉ちゃんの一押しのやつ」
梶原は秋葉の身体を解放して、テーブルの上の箱を開けた。
5号の生クリームケーキ。
イチゴが4つ乗り、トナカイやリースが描かれたマカロンが飾られている。
それを見た瞬間だ。
宣言通りにずっと気配を消して大人しかった黒の叫び声が、秋葉の頭の中に響いた。
「三分の一!!三分の一は俺のだからねっ!!」
秋葉は実は、あまりにも予期せぬ黒との交信は苦手だ。
こめかみのあたりを殴られたような衝撃を感じ、秋葉は咄嗟に黒との会話を閉ざした。
言葉にするなら、頑丈なシャッターを閉めるような感覚だ。
「さんぶんのいちぃいいいいいいいいいっ!!」
黒の絶叫が消えて行った。
「梶原」
「はい」
秋葉は深い溜息を零す。
「お前が半分食べて。黒に三分の二あげて。俺が残りの三分の一食べる」
本来ならば、黒にはワンホール食べさせてやりたい。
しかし以前それを実行しようとしかけて、秋葉はふと気が付いたのだ。
黒は喜ぶだろうが、結局それを食べるのは自分の身体だ。
ケーキをワンホール食べた後の胃がどうなるか。
考えただけで恐ろしい。
ホールケーキをこれから半分消費する自分も、ほんの少し心配だけれど。

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