公安第一課4(裏)

□無題
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「これこれ、秋葉君秋葉君」
相変わらず雪崩が起きそうに様々なものが絶妙のバランスで積み上げられた、向かい側の席。
呼ばれた声に顔を上げれば、つんつんと尖った髪の毛先だけが見える。
「何でしょうか」
声の主は影平だ。
秋葉はパソコンのキーを叩いていた指の動きを止め、次の言葉を待つ。
「早く申請しないとお前の休暇俺が没収しちゃうぞ」
ぽい、とファイルに挟まれた白い紙が放り投げられる。
せめて立ち上がって手渡してくれればいいものを、と思うが、自分も立ち上がって影平の用件を聞く訳ではないのでお互い様だと思い直す。
キーボードの上に着地したそれを見て、秋葉はひとつ溜息を吐いた。
毎年恒例のやりとりにはなるが、この時期、刑事課の面々はある程度まとまった休暇を取る事が出来る。
「影平さん、は……」
一覧表に視線を落とすと、影平は8月の後半に休暇を入れていた。
「久々に広島に行ってくるわ。母ちゃんの墓参りもしたいし、従兄弟連中も帰省するっていうからよ」
「……お母さん、喜びますね」
「おう」
影平の声音は、家族の話題になると柔らかくなる。
随分と前に亡くなった母親の事を話す時も、それは変わらない。
自分の中にその存在が確かに残り、まだ息づいているのだろうと秋葉は思う。
影平のようにどうしても外せない休暇を取る者を優先し、特に連休を取る必要のない自分はぽつりぽつりと空いた場所へ休暇を入れる。
左隣の梶原は不在だ。
確か今日は川越の実家へ顔を出すと言っていた。
「お前、どっか行ったりしないの。旅行とか。行ってもいいんだぞ?土産さえ買ってくれれば何処へでも」
好き勝手に喋りながらも、影平は書類を作成してそれを背後の薬師神の机の上へ投げる。
「……何処かに行く当てがあるような人間に見えますか」
「見えん」
じゃあ黙れ、と腹の内で呟いて、秋葉は休暇申請を済ませた。
どのみち緊急の仕事が入ればこんなものは無意味になる。
いつでも無意味に出来るようにしておくのも自分の役目だろう、と秋葉は思っていたが、8月3日だけは呼び出しには応じられないという印を備考欄につけておいた。



毎年、梶原への誕生日プレゼントを考えていると日付がぎりぎりになってしまう。
形として残るものを選ぶ時もあったがそれはいずれ壊れてしまうものであったし、渡した後も本当にその選択で良かったのかとつい悩んでしまう事が多かった。
職業柄、靴を履きつぶしてしまう速度が速く、数日前の朝に梶原の靴をふと見た時にそろそろ新しい靴にした方がいいだろうかと考えたりもした。
本人に問えば、時には具体的に欲しいものを伝えてくれる事もあったが。
梶原はいつもふわりと笑う。
『秋葉さんがそうやっていろいろ悩んでくれるのが、実は嬉しいんです』
そう言って笑う梶原を見て、秋葉は少し途方に暮れる。
乏しい表情の中からそれを読み取り、梶原はまた優しく笑うのだ。
『誰かの為に何かを考えるって、自分の時間をその人の為にきちんと割くって事だから。秋葉さんが今日以降の予定を考えてくれて、その対象が俺だって事が嬉しいなあって思います。何だろう、この優越感に似た何か。誰に対する優越感かは分からないけど』
最近、以前にもまして梶原は臆面もなくそんな事を言う。
彼に救われて、彼に穏やかな呼吸を教えてもらっているような気がする。
逆に言えば、梶原を失うのならもう呼吸を続ける事に意味はないのだろう。
後何度、自分は彼の生まれた日を祝う事が出来るだろうか。
「……」
今年は、彼を守るものにしよう。
そう思い、秋葉は梶原の予定を聞くために携帯を取り出した。


※※※


「俺は!!ケーキ焼くからね!!」
黒が大声で主張する。
「2つ焼いて1つは丸ごと自分が食べるとか言うなよ」
「なぜばれた!!しゅうじのばかっ!!」
相変わらず黒は賑やかだ。
自分自身の内側で繰り広げられるこのやりとりにも、随分慣れた。
ここに黒がいる事がもはや当たり前になっている。
「8月3日は、かじわらも休みなんでしょ?」
「今のところはね」
「じゃあ早起きしてケーキ焼くから!!午前中は俺に時間ちょうだい」
それは構わないが、と秋葉は頭の片隅で思う。
自分の何処にホールケーキを焼くスキルがあるのだろう。
黒が、本体の預かり知らない場所でそれを身に着けてきたとしたら、それは一体何処なのだろうか。
考える度にややこしい。
考えすぎると気が狂いそうになってしまう。
「いいんだよ、しゅうじは難しいことは考えなくても!!考えてたらすぐに死にたくなるんだから!!」
黒に言われると、何だか悔しい。
「そうか。じゃあもう考えない」
これでいいのだろうか。
多分、これでいいのだろう。
明後日は梶原と買い物にでかけるのだ。
何事もなくその日が迎えられるよう、秋葉は祈った。

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