公安第一課4(裏)

□あなたが生きていてくれて
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この家は、いつ訪れても静かだ。
比呂の、2人の子供が来訪している時ですら、独特の静けさが空気の中にある。
梶原は、仏壇に線香を供えて両手を合わせて目を閉じた。
この静けさには理由がある。
秋葉の両親も、兄も。
幼い姪や甥でさえ。
彼らはいつも何処か身近に死の気配を感じながら過ごしているのだと、梶原は思う。
その理由は、今梶原が手を合わせている秋葉の妹、貴美の死と。
秋葉自身が命を失いかけた事。
もうこれ以上、何も喪いたくないという切なる思いがこの静けさの理由だ。
「ごめんなさい。秋葉さんがどうしても来る事が出来なくて」
貴美に向かい、梶原はそう呟いて頭を下げる。
彼女の死に際に立ち会い、その死に責任を感じている秋葉は。
未だにこの家に帰る事を躊躇う。
墓参りは両親や兄と会わないようなタイミングを見計らい、以前は家族とのつながりも断ち切っていた秋葉だった。
それでもここ最近は携帯の電源を入れていて、時折は自分から家族に連絡をする事もあるようだ。
「来てくれてありがとう、梶原君」
梶原が目を開けると同時に、周子が穏やかに言う。
「いいえ……ごめんなさい、結局ひとりで来てしまって」
12月に入り、年末の特別警戒が始まった。
取り立てて大きな事件がある訳ではないが、非番に召集がかかる事も多い。
先週から非常招集が続き、梶原は今日がようやくの休日だった。
秋葉も条件は同じだが、半ば無理矢理に仕事を詰め込んでいるような印象を受ける。
「本当は秋葉さんも今日、休みだったんですけど」
体調を崩した同僚の代わりに、秋葉は昨夜から24時間の勤務に入った。
恐らく夜勤が明けた後、帰宅して数時間眠り、また通常の勤務になるはずだ。
「やっぱりまだ、ここには来たくないのかしらね」
周子はいたずらっぽく笑った。
その笑顔は、秋葉に似ている。
「そんな事はないです、本当に。ご両親に渡すクリスマスプレゼントも、ちゃんと自分で準備していましたから」
12月25日。
今日を外せば、後はきっと年明けまで休日が取れない。
梶原は秋葉の代理で、彼の実家を訪れたのだ。
「これが、お母さんに。これは、お父さんに。秋葉さんからです」
紙袋の中から2つ、クリスマスカラーの包装紙でラッピングされた箱を取り出す。
「後で楽しみに開けてみてくださいね」
テーブルの上にそれを並べ、梶原は周子の表情を見守る。
「あと、これは俺と秋葉さんからお母さんに。和三盆糖で出来た干菓子です。これは2人で相談して用意しました……けど、ほとんど俺の趣味です」
梶原の実家は埼玉の川越にある老舗の和菓子屋だ。
その店と取引のある業者が取り扱っている和三盆糖だ。
梶原は幼い頃から年に一度、正月に。
和紙に包まれた、まるで宝物のような小さな丸い干菓子を祖母からもらっていた。
それは口に入れるとほろりとほどけるように溶け、何となく特別で幸せな気持ちになった事を思い出す。
「嬉しい、ありがとう」
周子の笑みに、梶原もにこりと笑う。
「ご家族は、皆さんお変わりない?」
「ええ、それはもう。相変わらず元気元気です」
梶原の家は、代々女系が強いらしい。
それは現代にまでしっかりと受け継がれていて、今和菓子屋を切り盛りしているのは姉の依子だ。
しかし古いものを頑なに守るのではなく、義兄が店舗の片隅に洋菓子のコーナーを作ってみたりと、新たな挑戦もしている。
思い切りの良さと心地の良い流動性が姉の持ち味だと思う。
そういえば、秋葉との関係を真っ先に見抜いたのは依子だった。
『店の事は心配しなくていいの。あんたが幸せなら、私はそれでいいのよ』
そもそも、店を継ぐ事なく東京で警察官になろうとした梶原を応援してくれた姉だ。
何があっても自分の味方でいてくれる存在というのは、本当に心強い。
あなたが幸せなら、それでいい。
生きていてくれるだけでいいのだ、と。
秋葉の家族も、きっとそうなのだろう。
そもそも本当に彼は、現在生きているだけでも奇跡のような状態から生還したのだから。
「秋葉さんも、元気にしてます」
ただ、秋葉が。
その願いを受け取る事が出来ないのだ。
大切な人達の命を失くし、その失われた命の上に自分が生きているような感覚を常に抱いて。
決して周子には言えないが、時折秋葉は無意識に死へと惹かれていく。
自分の命は何処か他人事で。
記憶も曖昧なまま放置されているのは、本来秋葉を支える核になるべき家族との温かな記憶だ。
その曖昧さは、恐らく秋葉が家族の記憶を分け与えられたからだろう。
職場で必要な事は、データとして頭に叩き込み。
後回しにした個人的な記憶は、家族や同僚から言葉として分け与えられたもの。
そうやって秋葉は何もかもを失くした状態から生きてきた。
「何だか、おかしいわね」
周子は湯飲みから立ち上る湯気を見つめる。
「時々分からなくなるの。どうやってあの子に触れたらいいのか」
そう呟いて、周子は微笑む。
「あんな事が起きる前は、どうやって話をしていたのか……あの子がどんな子だったのか、時々分からなくなるの」
言葉の最後、声が震える。
周子が指先で涙を拭った。
思い返せば、梶原が周子と会う時、涙を見せる事があっても弱音はほとんど吐いていなかったような気がする。
それを口にすれば必死に守ろうとした何かが壊れる、と思っていたのかも知れない。
「ごめんね、梶原君」
「いいえ、何も」
梶原は首を横に振った。
「こうして本音を明かしてもらえるようになったんだなって思うと、嬉しいです」
秋葉に対してそうするように。
梶原は、どうすれば伝えたい言葉がそのまま周子に届くだろうか、と考える。
「俺は……秋葉さんが……本人は大変で苦しい時も多いんだろうし、確かにものすごくコミュニケーションが取りにくい時もあるんですけど……。でも生きていてくれて本当に良かったって思います。欲を言えば、そこから本人が生きてて良かったって思えるようになったらいいのになあって思ってます」
大塚署の管轄区域は、都内でも比較的平和な場所だ。
それでもやはり職務には危険が伴う事もある。
特に秋葉は、もう少し生きる事に対して貪欲になってもいい。
それが彼の明日に繋がるのなら、貪欲で在って欲しいと思う。
「秋葉さんが生きてて良かった。俺は秋葉さんに出会えて、すごく嬉しい事もたくさんあったので。じゃあそれをひっくるめて考えたら、秋葉さんを無事に生んで育てて、こうやって生きる方へ引き戻してきたお母さんってすごいなって。そこに行き着きます」
梶原の言葉に、周子の目から涙が零れる。
「今日は秋葉さんの誕生日だけど……。秋葉さんにおめでとうって言うのと同じくらい、お母さんに感謝しちゃいます、俺は。……多分、そのクリスマスプレゼントの中に秋葉さんから手紙が入ってます。……読んであげてくださいね」
数日がかりで秋葉が書きかけては止め、書きかけては書き直した手紙。
「これ、開けていいかしら」
「もちろんです。俺、お茶いれてきますね」
できるだけ、ゆっくりと。
温かいお茶をいれよう、と梶原は立ち上がった。

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