機動捜査隊(頂きもの)

□キスアンドクライ
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「ああ…泣いちゃったな、あの子」
前を向いたまま、秋葉が呟いた。
弾かれたように梶原は秋葉を見た。
まさか、秋葉が自分と同じものをみていたとは。
「梶原、あの場所が、なんて呼ばれてるか、知っているか?」
梶原をちらとも見ず、秋葉は言った。
「いえ…知らない、です」
秋葉の唐突な問いかけに戸惑いながら、フィギュアスケート自体をよく知らぬ梶原は、正直に答えた。
「キスアンドクライ、だよ。喜びや悲しみ。全ての感情が集う場所、だそうだ」
「キスアンドクライ…」
相変わらず秋葉は前を向いたままだ。
秋葉を見つめたまま、梶原は教えられた名称を噛み締めるように呟いた。
喜びのキス、悲しみの叫び―嘆声。感情表現が大らかな西洋人らしい名付け方だと思う。
そうして、梶原は。
自分が。
リアルな感情を大切に思っていて。
だからこそ。
生の選手達の想いに惹かれたのだと、気付いた。
現実は、全てが仕組まれた虚構とは、違う。
偶然という必然は、喜びという正の感情を齎すこともあれば、悲しみ、惑いといった負の感情をも、自分達に不意に齎す。
ならば、いいのではないだろうか。
今、自分が迷いの中にいることも。
それも、自分にとり、必要なことなのではないだろうか…
そして、忘れることに戸惑いがあるのなら。
ずっと、忘れずに覚えていればいいだけ。
忘れずに全てを抱える覚悟を、持てる人間になればいいのだ。
梶原は、それこそ霧が晴れたような気持ちになった。
「…ありがとうございます、秋葉さん。チケット譲って下さった方にもお礼言ってたって伝えて下さい」
秋葉が誰から貰ったものだろうと、そんなことはどうでもいいことだ。
大切なのは、今、秋葉と一緒にいられるということ。一緒に同じものをみて、共有出来る感情があるということ。
それだけで、いい。…今は。
迷いの晴れた声音が出たと、梶原は自らも思う。
「…立花、だよ。チケットくれたの。…知りたかったんだろ?そういう顔、してた、先刻まで」
初めて秋葉は、梶原へと顔を向けた。
「今は、違いますか?」
「じゃなきゃ、言わない」
秋葉は微笑みを浮かべた。いつもの…。でも、少しだけ、いつもより暖かみを感じる笑みを。
「…俺、皆に迷惑かけてたんですね」
改めて周りを見渡せば。皆が自分を気に掛けていてくれたことにも思いあたる。
皆に迷惑をかけた、と梶原は反省の念を抱いた。
「馬鹿。そういうのはね、迷惑じゃなくって、心配、って言うんだよ」
秋葉は訂正を、苦笑混じりに入れる。
「…ありがとうございます。…秋葉さんも、心配、してくれてたんですね」
調子にのった言葉に返ってきたのは、梶原の頭を叩く手、だった。


競技が終わると、閉会式を待たず、秋葉が席を立った。
つられて席をたった梶原は、出口へと進む秋葉に尋ねた。
「最後まで、見なくていいんですか?」
「最後までいたら、帰りの混雑にあうだろ?それに……。…まあ、義務は果たしたし?」
義務?
なんなんですか、それ?
心の中に疑問符が飛びかうが、独り言のような秋葉の物言いに梶原は別のことを口にした。
「結構面白かったですね」
「まあ、な」
応えた秋葉は暫く口を閉ざし、ニヤリと意地の悪い笑みになった。
「…あの青いドレスの泣いた子、点数が、よかったから泣いた。悪かったから、泣いた。さて、どちらでしょう?」
梶原が秋葉を見つめていたのを知っていて、秋葉は言っている。
秋葉さんって、なんで俺にだけ…少し意地悪なのかな。
そう思わずにいられない梶原だった。
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