捜査本部(中編小説)

□絶えない闇
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 秋葉は自分の言葉の通りに一課に戻ることはなく、そのまま屋上へ上がった。少し風に当たれば気分が変わるかと思ったが、そうでもなかった。桜が咲き始めた公園では、気の早い人達が宴会をしているのだろう。時折どこかから賑やかな声が風に乗って聞こえてくる。秋葉にとって、桜はいい思い出のある花ではない。この季節が来るたびに胸の奥が痛んだ。何故人は『花見』と称してあの不吉な花の下であれだけ騒げるのだろうか。
(人それぞれ……ってやつかな)
 軽く溜め息をついて。秋葉は夜景を見つめた。
「秋葉さ〜ん……あ、やっぱりここにいた」
 背後の金属製のドアがきしむ音がして、梶原の声がした。
「三島課長が呼んでますよ」
 それだけを告げて、梶原はドアを開けたまま待っている。
「了〜解………」
 どうせろくな話ではないだろう。そう思いながら、秋葉は屋上を後にする。階段を降りる自分の靴音にさえ神経が苛立つ。3階分の階数を下り、一課のあるフロアに足を踏み出す。
(ああ、ついてないな)
 その瞬間、秋葉はそう思った。こちらに向かってまっすぐに歩いて来る人物が、笹井であることに気が付いたからだ。そして笹井もまた、秋葉に気が付いたようだった。
「今回も捜査本部にお前がいるのかと思うと気が重いよ」
 すれ違う瞬間に笹井は立ち止まり、そう吐き捨てた。それに対して、秋葉は軽く唇をゆがめて笑っただけだった。
「お前が関わると死人が増えるからな。今度は何人死ぬかな」
(ダルいな……)
 秋葉は無表情でその言葉を聞き流す。挑発に乗るつもりは全くなかった。
「いっそのこと、お前が死んでくれればな」
 笹井は小声でそう言って笑う。
「何言ってるんですか……っ」
 秋葉の隣にいた梶原がその言葉に怒りを露わにした。秋葉は、梶原の腕を強く引き戻す。
「やめておけ」
 笹井は何事も無かったかの様に立ち去って行く。
「何で止めるんですか!!あんな事言われて黙ってる事ないです!!」
「……お前、怒ってるのか。自分の事でもないのに?」
 秋葉は不思議そうに問う。梶原は、その秋葉の問いこそが理解出来ない異国の言葉の様な顔をした。
「……当たり前でしょ?」
「ここでは当たり前じゃないんだ」
 苦笑しながら秋葉は言う。梶原はまだ何も自分の事を知らない。
「訳は陣野さんにでも聞いてみな」  
 そう言って、秋葉また笑った。
「秋葉さん…どうして笑ってるんですか?」
 梶原は不意に秋葉に問う。秋葉は口元の笑みを収めた。
「ひとつだけ、いいこと教えてやるよ。ここで長生きしたかったら俺に関わるな」
 呼吸ひとつ分の間をおいて、秋葉は梶原に背を向けた。一課の扉を開けると、その場にいた全員の複雑な視線が秋葉に向けられる。それだけで、自分がここにたどりつく前にここで何があったのかが分かった。
「秋葉、ちょっと来い」
 課長の三島がデスクから秋葉を手招いた。
「はい」
「単刀直入に聞く。この事件を冷静に判断できるか。笹井管理官はお前をすぐにでも捜査から外したいと申し入れてきた。私はそれを受け入れるつもりは無いが、一応お前に確認を取っておく」
 秋葉は目を伏せた。
「俺は冷静にこの事件に対応することは出来ない、と?」
「………現場にいる事が負担なら今回は外れろ」
 秋葉は顔を上げる。
「大丈夫です」
「………分かった」
 強く言いきった秋葉に、三島が短くそう答えた。   
 
  


「……理由は陣野さんにでも聞け………って、言うんですよね。秋葉さんが」
 秋葉が三島と話しているのを横目で見ながら、梶原が陣野に呟いた。
「俺に何を聞けって?」
 陣野は書類から目を上げた。
「いや〜……?よく分からないんですけど。秋葉さんが関わると人が死ぬとかなんとか。さっき笹井管理官が言ってて。その理由を陣野さんに聞けって事ですかね?あと、この事件に秋葉さんが冷静に関われないとかなんとか。あれは一体何なんですかね」
「………」
 陣野は、とん、とファイルをまとめて机の上に置いた。
「そりゃあまた………厄介な事を俺に押しつけたな」
 言葉程には厄介に思っていない事は、陣野の口調と表情で分かった。
「どうなんでしょう。俺が聞いてもいい話なんですかね?」
「秋葉が俺に聞けって言ったなら俺は話すのは構わないが。お前がそれを聞いて秋葉に対する接し方が変わるかどうか、だな。俺があいつの話をしたとして……それをどう取るかはお前次第だ。お前、ここに配属されて秋葉と組む事になったときに、周りに何か言われなかったか?」
 陣野は椅子の背もたれにもたれながらそう言った。
「ん〜……そりゃあいろいろ。あいつと組むなんて貧乏くじだなとかなんとか。俺は全く気にしませんけど。秋葉さん、ちゃんと始めから俺の面倒見てくれましたし。ただ感情表現が下手なんだな、くらいにしか思いませんけど?俺は別に何言われてもどうでもいいですねえ。何聞いてもびっくりするなって言われたら難しいけど」
 邪気のない口調で梶原が言う。それを陣野はしげしげと眺め、その後で笑った。こういう梶原だから、秋葉のパートナーに選ばれたのだ。秋葉が梶原のパートナーとして最適だったのではなく、選ばれたのはその逆の理由だった。梶原なら秋葉のクッション材になれると判断されたのだ。
「じゃあ、ちょっと来い」
 陣野は立ち上がると、各階にある喫煙コーナーに梶原を誘った。廊下を歩きながら、ポケットから煙草を取り出す。ガラスで仕切られた喫煙コーナーでそれに火をつけ、しばらくたってから、陣野は天井に向かって溜め息と共に紫煙を吐き出した。
「どこから話したもんかなと思って……な」
 陣野が初めてためらいの表情を見せた。
「あいつ……ここに来てからいろんなものを失ったんだ。それで、その憎しみや悲しみの矛先を全部自分に向けちまった。それで、ちょっと感情のネジが壊れたんだな。刑事としてのあいつは確かに優秀だ。けれど、誰にも心を許さなくなった。自分からは絶対に他人とは関わらない。だから他の奴等もあいつとは一線を置く」
「……何を……なくしたんですか?」
「最初は4年前の4月。あいつが慕ってた本庁の刑事がな……ほら、新宿のコンビニで薬中が起こした立てこもり事件があっただろう」
 梶原が頷いた。
「ああ。犯人を射殺して自分も頭打ち抜いて自殺した…………」
 当時、事件は大きく報道された。梶原はまだ交番勤務時代だったが、その事件をよく覚えている。
「櫻井といってな。秋葉とは高校時代からの付き合いだった。次に、あいつの妹の貴美さん。櫻井が起こした事件からちょうど一週間後だ。本庁の一課が追ってた強殺事件の犯人が持っていた銃が暴発して………たまたま現場に通り合わせた貴美さんに弾が当たったんだ。あの時は……俺と秋葉と、本庁の奴がその犯人を追ってた。秋葉の目の前で貴美さんは死んだ。あいつに関わると死ぬ……なんて噂が流れ始めたのはその頃だ。お前もそれくらいは聞いた事があるだろう」
 陣野は煙草を灰皿に押しつけた。
「………そして次の年の秋にもう1人。遠山奈穂という秋葉の婚約者が死んだ。彼女は自殺だった。彼女の死に方が今回の事件とよく似ている。笹井と三島課長が言っていたのはこの事だろう。彼女も頚動脈を切って死んでいたから……秋葉の心情としてはちょっとな」
「はあ……」
 梶原は話の内容を飲み込むために、しばらく沈黙した。
「生きているうちに、自分に関わる人間がこういう形で死ぬ事は、そうあることじゃない。妹さんの件では秋葉も家族と折り合いが悪くなったしな。遠山奈穂は……まあその気になってお前が調べればすぐに分かる事だから言うが。弟に傷害の前科があってな。どうあっても秋葉が仕事を続けるならば、彼女と一緒になることは出来ない。その理由は分かるだろう?」
陣野は立ち上がる。梶原はそれを見上げて頷いた。刑事は本人や身内に前科がある人間とは婚姻できない。
「秋葉は刑事を辞めるつもりだった。退職願を出すその日、彼女は死んだ。あいつが身に付けている指輪は彼女の物さ。……あいつが俺に聞けといったのはこの3人の事だと思う。 後はまあ、追々話してやるよ」
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