捜査共助課(短編小説)1〜30話

□指輪
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相模:
 
 その指輪を見たときの気持ちを、俺はよく覚えていない。
「お前を……止めることが……お前を救う事になるのかも知れない……」
 もう意識を留めておくのも難しい様な状態で、まっすぐに俺に銃口を向けてそう言うこの刑事の、何処にこんな力が残っているのか。それにも興味を覚えたのは確かだった。俺がこの刑事を撃って、傷つけた。グレーのスーツは左肩の部分から広い範囲でどす黒く変色していたし、白いシャツも、大量の血液を吸って赤く染まっていた。あれから24時間近くがたとうとしていたが、まだ出血は少量ながら続いている様だった。秋葉という刑事が目を覚ました時に記憶を失っていたことには少々驚いたが、そんなこともどうでもよかった。4月の風が開け放した窓から入ってくる。俺は今から死ぬつもりで窓の外を見ていた。俺はとうに人間らしい感覚を失った胸の内で、ふとあの女の事を思った。『冴子』という女だ。捨て猫を拾う感覚で、半年一緒に暮らした女だった。
(馬鹿な奴だなあ)
 もともと、少し心の弱い女だった。俺が犯した罪の片棒を担がせたのが負担だったのか、それとも俺の罪を被ろうとしたのかは、もう分からない。俺は指先を伸ばして、秋葉の胸元にあるチェーンを強く引っ張った。それは思ったよりも簡単に外れて、俺の手の中に収まった。秋葉の身体は傾いで、前方に倒れ込む。もうこれで起きあがる力は無いはずだ。シンプルなシルバーの指輪だった。大きさからすると女性のものだろう。そういえば、冴子には何も残してやれなかった。俺はまたそんなことを考えて、自分の感情に少し戸惑った。
「さがみ……」
 かすれた声で呟くように俺の名を呼んで、秋葉は起きあがろうとする。しかし、それは出来ずに、仰向けに横たわっただけだった。少し咳き込んだ口元から一筋の血が流れる。もうすぐこの刑事の命も終わるだろう。俺はその投げ出された右手に握られた銃の向きを変えて、秋葉のこめかみに銃口を当ててやった。秋葉は一瞬俺を見たが、そのまま穏やかに目を閉じて、ほんの少し笑った様に見えた。
「これで………自由だ」
 もう混濁しているだろうと思われる意識に届くように、耳元で言ってやる。秋葉はその言葉に閉じていた目をわずかに開けた。そしてゆっくりとトリガーを引こうとする。
「面倒くさいなあ」
この部屋に向かってくる足音が聞こえる。
気持ちのいい春の日だった。桜が咲いていた。


俺は、軽い気持ちでベランダの柵を飛び越えた。
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