捜査共助課(短編小説)1〜30話

□パズル
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「すみません……」
 自然と声が低くなる。とりあえず、駄目元で理由を聞いてみようか。解答予測。遺体が知人だった。……それはないか。血が怖い?……今更なぁ?
「風邪気味で…気分悪くて」
 俺の思考を読んで、秋葉は先に言い訳を口にする。
「それだけか?」
 仕方ない。食い下がってみるか。秋葉は視線を不意に揺らした。
「いえ………」
 こいつはここからが面倒くさい。絶対に本当の理由なんて白状しないんだから。
「すみません…本当、気分悪くて………現場見てたらもう少しで何か……思い出せそうな感じがしてたんですけど…」
 俺はその言葉を逃がそうとして、ふと止まる。今、こいつは俺に、いつもと違う言葉を発した。
「お前、熱は」
「測ってないので…分かりません」
「いや、自覚症状くらいあるだろうがよ普通」
「ああ……どうなんですかね」 
やっぱり変な奴。普通分からんか?熱っぽいなとか、もうヤバイとか。
「バカか、お前」
「……ですね」
「アホか」
「そうかも知れません」
 珍しく、投げた言葉に反応してくる。
「影平さんには……信じてもらってないと思うんですけど。俺の記憶、まだ幾つか…幾つなのかは全然分からないんですけど、完全には戻ってないんです」
 今、さらりと何を言った?
「結構…記憶が曖昧でも、怪しまれずに生きていけるもんなんだって分かったから…前ほどは切羽詰ってないんですけど。影平さん、パズルとか…やったことあります?」 
 おかしい。こいつ、今夜は変に饒舌だ。きっと熱が出てるに違いない。
「ぴったりはまる欠片が見つからないものがあるんです。それが突然頭の中にガンって返ってくる時があって。でも今のは分かりませんでした」
 それほど残念そうな口調ではない。あんな現場を見て蘇生される記憶なんて、きっとろくなもんじゃないだろうから。
「例えば……何が思い出せないんだ」
 俺は重い口を開いた。
「最期の言葉とか……あの日、何を話したのかとか……後から仕入れた結論にたどり着くまでの、過程や道筋みたいなものが……よく分かりません」
 文書化されたものは、自分の生な記憶ではなく。それはただの情報に過ぎないから。
「似たような現場を見たときとか、眠って夢を見たりしたときに急に返ってくる事があるんです。今みたいに。迷惑かけてすみませんでした」
 なるほど、だからいつも人前では眠らないのかこいつは。覚えておきたかったことも、忘れてしまいたかったことも、全てをもう一度リアルに蘇生させて体験していくのか。いやに落ち着きはあるけど、秋葉って幾つだったっけ?確かまだ30手前だ。ひどく残酷な気がして、俺は目の前を走る車に目をやった。怪我が治った途端に仕事に復帰してきたのは、もちろん『やっていける』という自信がなければ無理だっただろう。だが、きっとそれだけじゃなかったんだ。
「俺、ずっと前に、お前に金貸してるんだけど」
 間が持たなくなって、俺はため息をつきながらそう言ってみた。
「……マジですか」
 すぐに否定できないのか。こんなすぐに嘘だと分かる冗談を笑い飛ばすだけの、自分自身に対する確信もないのか、今のこいつの頭の中には。
「10万円」
「嘘ばっかり」
 右手を真顔で差し出すと、それを払いのけながらようやく笑う。また少し沈黙。俺は意を決して口を開く。なるべく、感情をこめない口調で。
「……俺は、お前の事情を詳しくは知らないから、単純に言わせてもらうが。俺たちの仕事は、こうやって結果から、逆向きにここに至る道筋をあぶりだして行くんだよ。そのためには色んなものを犠牲にするよな?」
「……はい」 
「お前の記憶も同じじゃないのか。今戻らないものなら、あきらめるか、取り戻そうと努力するか。どっちかしかないんじゃないのか。お前はどうしたいんだ」
 こいつは少し驚いた顔をした。俺がこんなことを言うとは思っていなかったのだろう。あらゆる意味で、俺たちはお互いに深入りしてこなかったし、今日のこの会話は全てが予想を超えている。だが肝心の答えを聞く前に、目の前にタクシーが止まり、若い監察医が降りてきた。
「あ、こんな夜中にすみませんね、センセ」
 実はこの医者、俺の飲み仲間なので自然と口調がなれなれしくなる。今は秋葉しかいないし、まあいいだろう。
「も〜、今夜は合コンだったのにっ!!」
 人が一人、背後に立つマンションで変死している。そんな出来事とは全くかけ離れた他人事な会話。いつもなら苦言のひとつでも言いそうな相棒は、今日は黙っていた。
「あ、センセ。こいつ風邪みたいなんだけど、熱があるとかないとか分かんないって。ちょっと診てやって」
 8階にセンセを案内する前に、相棒に嫌がらせ。
「風邪?今流行ってるから…」
 そういいながら、センセは荷物を持っていない右の手のひらで、秋葉の額に軽く触れた。
「ちょっと!鈍感なのもいい加減にして下さいよ!!熱高い。早く病院いったほうがいいですよ」
「秋葉、ちょっと上まで上がってくるから、状況を無線で報告しといて。誰か上から降ろすから」
 有無を言わさないタイミングで、俺は相棒にそう命令した。気を使ったり、心配するのは俺の役目じゃないし、こいつもそれは望んでいない。でもその言葉に含めた意味は、多分こいつには分かるはずだ。


今のうちにちょっとでも休んどけ、馬鹿。
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