自動車警ら隊(リクエスト)

□宵祭
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「……あ、れ。柊?」
不意に背後から呼ばれ、秋葉は振り向いた。
「兄貴……?」
そこに居たのは秋葉の兄、比呂だった。右腕に娘の唯を抱いている。
唯は眠っているようだった。
時計を見れば、20時を回っている。
「仕事?」
比呂は秋葉の腕章とイヤホンを見てそう言った。
「……うん」
隣にいた佐藤に、比呂は軽く会釈して挨拶を交わす。
「じゃあ、先に行ってるから」
佐藤は軽く右手を上げ、秋葉と比呂を残し公園の方へ歩いていく。
「わざわざこんなとこまで?」
そう聞いたのは、比呂の生活圏から言えばこの街は少し遠いからだ。
「ああ、明日休みだし。最近唯と遊んでやってないからさ」
そう言って、比呂は腕の中で眠る唯の顔を見た。
「でもここに来た途端に寝ちまった」
「人ごみに疲れたんじゃない?」
比呂と話しながらも、イヤホンから流れてくる無線連絡に半分意識は取られている。
「お前、疲れた顔してるな。大丈夫か。少し…痩せた?」
最近人から言われるのはこの二言ばかりだ。
秋葉は苦笑する。
「ちょっとここのところ仕事がハードで。今日は日勤の後の超過勤務なんだ。少年課にレンタルされてて。体重は…夏場はどうしても落ちるから俺は」
日常をこなしていくのに何ら問題はないのだと秋葉は言った。
「皆元気?」
そう話題を変える秋葉を、比呂は少しの間見つめ頷く。
「おかげさまで変わりなく」
「そう」
それ以上は会話が続かない。
「じゃあ、な。お疲れ」
比呂は言い、唯を抱え直す。
「あ。兄貴。靴紐、ほどけてる」
秋葉はその足元を指差し、右足の靴紐がほどけている事を比呂に教えた。
「ああ、ほんとだ」
「結んだほうがいいよ」
比呂は秋葉に唯を手渡すと、その場にしゃがみこむ。
唯は、秋葉の右腕に抱かれても、その顔を秋葉の肩に預けてすやすやと眠ったままだった。
秋葉はその小さな頭に軽く頬ずりをする。
きゅ、と秋葉のシャツを掴む小さな手が愛しい、と思う。
比呂はついでに左足の靴紐も結びなおす。
「あ〜!!秋葉!!」
視線の先に、見知った顔がこちらに向かって駆け寄ってくる。
秋葉は思わず左手の人差し指を唇の前に立てた。
村上沙希だ。
こういう夜には彼女との遭遇率は高そうだとは思っていたが。
案の定、だ。
紺色がベースの落ち着いた柄の浴衣を着て、下駄をからんと鳴らしながら彼女は秋葉に近寄ってくる。
髪は相変わらず傷んだ金髪に近い茶髪だが。きちんと浴衣を着こなしている辺りはさすがだ。
浴衣にブーツやサンダルを合わせている子供が多い中で、沙希は意外と古風な感覚を持っているのかもしれない。
片手に水風船。もう片方には綿菓子を持っている。
見るからに祭りを満喫している様子だ。
「ちょっと静かにしてて。子供が寝てるから」
「何?かわいい。秋葉の子供?抱っこしたい」
沙希は声を潜め、唯の顔を覗き込む。
「俺の子供な訳ないだろ。姪っ子」
靴紐を結び終えて立ち上がった比呂は、沙希と秋葉を交互に見る。
「じゃ、この人お兄さん?」
「……そうだけど」
沙希はにこにこと比呂に笑う。比呂も秋葉とは違い人懐こい面を持っているので、秋葉から唯を受け取りながら、沙希に柔らかく笑んだ。
「あ、村上沙希で〜す。弟さんとお付き合いしてま〜す」
沙希はそう言って比呂に会釈した。
「いい加減なこと言うな」
その瞬間秋葉に頭を叩かれて、沙希は頬を膨らませた。
「頭叩くなっ!!この髪まとめるのにどれだけ時間が掛かったと思ってんの」
「知るか」
「………秋葉比呂で〜す。弟がいつもお世話になってま〜す」
比呂はその場の雰囲気に悪乗りしてそう言う。
沙希は楽しげに笑った。
「じゃあな、柊。沙希ちゃんも、バイバイ」
2人に手を振ると、比呂と唯は人の流れに逆らって駅の方へと歩いていく。
「ねねね、秋葉。この浴衣かわいい?」
比呂に手を振りながら、沙希は秋葉に問う。
「…………左前になってるけど」
「え!?嘘?」
沙希は慌てて自分の胸元を見る。
「うっそ」
軽く舌を出して、秋葉は踵を返す。
「ひどい!!」
くすくすと笑いながら、沙希は秋葉の横に並んで歩く。
「独りで遊んでるのか?」
「一緒に来た友達とはぐれたの。ぶらぶらしてたら会えるよ」
彼女には補導歴はあるが、喫煙や飲酒で補導された事は一度もない。
その辺りの一線を越えてはいけないと自らルールを決めて周囲に流されずにいる所が、秋葉が沙希を評価している一面だ。
沙希が手の中で遊ばせる水風船の音を聞きながら、秋葉は何だか懐かしい思いに捕らわれる。
「秋葉」
沙希が呟いて足を止めたので、秋葉も同じように歩みを止めた。
「今日は疲れてるの?」
「………ちょっと…ね」
本当に、こればかりだ。一体自分はどんな顔をしているのだろう。
秋葉は思わず笑ってしまう。
沙希はひどく真面目な顔で、手にしていた綿菓子を少しちぎり取った。
そしてそれを秋葉の口元へ押し付ける。
「何…」
秋葉がその行動を咎めようと口を開いた瞬間を狙って、沙希は綿菓子を秋葉の口に押し込んだ。
「………」
口の中で瞬時に溶ける甘さに、秋葉は顔をしかめる。
「疲れてる時はね。甘い物食べるといいよ。これ、ザラメだけど何もないよりはちょっとはマシかもしれない」
沙希は今までにない程静かな口調でそう言った。
「秋葉、今日は死にそうな顔してるよ」
16歳の子供に、そう指摘される。
それほど自分には余裕が無いのだろうかと、秋葉はふと考え込んでしまった。
「一生懸命隠してるんだね?秋葉はそういう嘘つくのは上手だから、他の人には分からないよ。でも、秋葉の事ちゃんと見てる人には分かるよ。私にだって分かるんだもん……佐藤やお兄さんにはバレてるよ、きっと」
時折、彼女は秋葉に恐ろしい事を言う。
まだ幼い故の感受性の鋭さだろうか。
それとも持って生まれた感性のようなものかも知れない。
「沙希!!」
遠くから、大きく手を振って、同じく浴衣を来た少女が沙希を呼ぶ。
「あ、良かった」
沙希も水風船を持った手を上げた。
「22時過ぎたら補導されるからな。早めに帰れよ」
秋葉は沙希にそう告げる。
「はーい」
沙希の表情が一気に明るくなる。本当は彼女もこの人ごみの中で、孤独だったのかもしれない。
秋葉はそう思った。
いくら見知った場所でも。誰かとはぐれて独りになると心細い。
彼女の先程までの物静かな雰囲気はそれが理由だったのかも、と。
「またね秋葉」
沙希が手を振って、その友人の方へ走り始めるのを見送った直後。
イヤホンから公園で数人の高校生同士の小競り合いが起きて怪我人がいるとの連絡が流れる。
秋葉は腰から無線機を取り出してそれに答えた。


夏の夜は長く。
祭りの夜は非日常の世界だ。
秋葉は恐らく21時以降も続くであろう超過勤務を覚悟した。




080716
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