GS1小説

□官僚的なソナチネ(氷室×主人公)
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腕時計を見れば、夕刻。
外はほの暗く、曇り空。

生徒の誰かが閉め忘れた窓から、水を含み湿った空気が入って来て気付いく。

「…もう時期、降るな。」

肌に纏わり付く嫌な感覚を欝陶しく感じながらも

「此れなら…可能かも知れない。」

氷室×主人公


Sonatine Bureaucratique


(官僚的なソナチネ)


氷室Side


此処は音楽室。

私が誇る吹奏学部の面々はかなり鍛えられ疲弊し、とうに帰って終って居る。

自分以外誰も居ない教室。

私は己の外装と内部間で少し揺らぎ、覚えたてで慣れない不安に成りながら…唯、佇む。
だからこそ、今にも泣き出しそうな曇天に期待は大きく高まって

「…そろそろだな。」

重苦しい湿気た空気を逃がさぬ様ゆっくり立ち上がり、完璧に調律が施されたグランドピアノの前に移動した。
そして、其れが早く始まるのを願い待つ。

ガランとした室内。
世界が終わった様な静寂。

ふいに空気の匂いが、変わる。

その慣れ親しんだ気配から漸く雨が降り始めた事を知り、取り敢えず一安心した。

「後の条件は、」

鍵盤に指を置き、深呼吸。

「この曲。」

最初に意識するだけで、譜面を見ずとも、指が自然に滑り始める。

…無意識下でも指が動いてしまう程、弾き慣れてしまったな。

私は苦笑いした。

エリックサティのTrois Gymnopedies(3つのジムノペティ)

彼の作品中、TV等で使用される最も有名な作品。
単調な左手のリズム上に簡潔で憂鬱なメロディが乗っている憂鬱な音楽。

君は此の様な雨の日に此れを酷く好む傾向が在る。

条件は揃った。
…だから、きっと、

「…Lent et douloureux(遅く、苦しげに)」

ドアの向こうから低音で、とても良く響く声。

「Lent et triste(遅く、哀しげに)」

私のリズムに合わせる様な足取りで室内に入ると

「Lent et grave(遅く、早く)」

指示する彼女。

「3曲は一続きのようにして演奏して下さいね。」

示される前に理解している私は、

「無論、解っている。」

と、頷く。

君が以前私に言った様に…此れは、1曲だけ演奏するという性質を持たない楽曲だ。
3つと表される様に続けて弾かなければ、3曲それぞれの曲が互いを引き立て合う事に気付け無い。

いつも通り、彼女は踊る様に軽い足取りで私の後ろの窓に向かう

そして多分、窓枠に腰掛けて降りしきる雨粒を眺める筈だ。

優雅に憂いを漂わせながら私を蠱惑する為に。

『ジムノペティ』というのは、古代スパルタの『ギムノパイディアイ』の事らしい。
神殿で裸の男性が集団で神に踊りを捧げる物で、数日間に渡って続く儀式。
通説では、そこからの造語だと言われている。

此の様に永続性が感じられる類いの楽曲は、以前の私なら苦手としたジャンルだ。
尚且つ、此れは譜面を見れば解るが、自由過ぎる。
有り体に言えば書いた人間の人格を疑う程、無茶苦茶だ。

個人的に言えば、以前はドビュッシーのオーケストラ編曲の方を、どちらかと言われたら好んでいた。
フランス的な澄んだ響きの解り易さが良いと。

「大分上手くなりましたね、先生。」

弾き終えた私に、彼女は降り敷きる滴を見詰めつつ、拍手と辛辣な批評を放つ。
其れを受け、私は椅子に座ったまま振り返る。

「君は容赦が無いな。」

すると絵画の様な彼女は、顔をしかめて、人の口振りを揶喩する。

「…それは心外ですね。四角四面に演奏するなんて愚かだって言ってるのに、止めない人が悪いんですよ。」

確かに譜面通りの演奏は物理的にも、音楽としても、成立しない。

「プログラムに、緩い設定や揺らぎが居る様にか?」

「万物にはゆとりと余裕が必要なんです。」

私は馬鹿馬鹿しいと気持ちを込めて息を吐く。

「名演とはフリーハンドから生まれるんですよ。」

「…若しくは個性か?」

呆れながら先回りして聞くと

「そうです、でも先生のは違いますね。」

不器用なだけと私にキッパリ、そう言い切れる君の其の有能さが…此れ程迄、惹かれさせるのだろうか?
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