「日誌撰集」

□哲学の価値
14ページ/27ページ

 2 哲学の有用性

 哲学の価値に疑問があるとするなら、それにはどのような意味があるのでしょうか。
 
 このような問いに対し、そのような問い自体そもそも無意味なのである、という考え方もあります。
 
「はっきり言って,医学や法学が役に立つという意味で哲学は役に立ちません。では,なぜ哲学を学ぶのか。この問いはばかげています。私たちは技術として役にたつことだけに関心があるのではないからです。」(中島義道「哲学の教科書」236頁)
 
 気持ちのよい開き直りです。
 哲学の価値について述べた当初、このような考え方も、提示しました。
 価値観は、多様です。そして、どのような価値感が本当のところ優れているのか、その優劣の決定の基準はないのだ、という考え方は、広く共有されています(他方で、このような考え方を述べる人の大半は、不思議なことに、ある種の価値は絶対的に正しいのだ、という考え方も語りますが、さしあたりそれは置きます。)。
 そもそも、価値感が多様であるなら、何をよいと思い、何を悪いと考えるのかは、個々人の勝手なのだから、そもそも「本当に価値があるのか」という問い自体が馬鹿げていると言えるでしょう。
 そして、私たちは、合目的的ではないことに非常に強い関心を持ち、それに重い価値を置くことがしばしばあります。

 テレビドラマを見たり、漫画を読んだり、映画を見たり、小説を読んだり、スポーツをしたり・・・それにどのような価値があるのでしょうか。面白いから仕方がないだろうとしか言いようがないのではないでしょうか。
 また、そもそも、私たちが生きることそれ自体にどれほどの意味があるのでしょうか。私たちはいずれ死にます。宇宙からある一定程度の大きさの天体が地球に落ちてくれば、死んだ後の私たちの記憶を残してくれる人も、すべて死んでいなくなります。そう考えると、人生それ自体が、無駄であるようにも思えてきます。
 
 では、哲学というものは、単なる知識を得る楽しみ、思考実験を試す楽しみしかないのでしょうか。荒俣宏の博物学のようなものに過ぎないのでしょうか。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ