「日誌撰集」

□哲学の価値
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 3 病としての「哲学してしまうこと」

 哲学をしてしまうことが,これまで話してきたように,普通ではないおかしいことであるなら,哲学をするということは一種の病なのではないでしょうか。
 先日引用した中島義道は,このような比喩を良く用います。この比喩に関する彼自身の考え方には,はっきりとしない点があります(彼は哲学をすることをかなり肯定的に捉えているようにも思われるからです)が,「病い」と言う言葉の通常の用法に照らして,哲学をある種の不幸であると捉えていると思われる点については,私の見方と同じように思います。
  
“ 私が強調したいことは,哲学は精神的にもまったく役に立たないと言うことです。哲学をすることによって,豊かで充実した精神生活が開かれるわけではない。(略) 私見では,哲学はむしろわれわれを不幸にすると思っております。何をしても自分も他人もごまかせなくなり,(略)世間と(精神的に)たえまなく対立するようになり,処せ術を誤ると,いつか完全に世間から排斥されてしまう危険さえあります。”
(中島義道「哲学の道場」229頁)

 さて,哲学をしてしまうことが病であるなら,まったく考えなくてもよいのでしょうか。
 私は,そのような病に取り付かれた人にとっては,哲学はたぶんいるのだろうと思います。そのような人にとっては,哲学をするということは,一種の治療,というよりも,病気になったときに生じる生理作用であると思います。
 風邪を引いたときに,病原菌を外部に出すため,咳が出る,鼻水が流れるなどの諸症状が出ますが,哲学をしてしまうような心理状態になってしまい,そして,哲学を実際にするということは,このような病の諸症状が現れることと同じであると思っています。
 
 その意味で,哲学をすることは,普通の人にとっては,無駄なのですが,哲学をしてしまう心理状態に至った人には,これを解消するために必要なことであるように思うのです。
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