「日誌撰集」

□哲学の価値
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第5 普通の人による哲学=虚偽の議論としての「リベラリズム」
 
 1 生存権の背景

“日本国憲法第25条

第1項
 すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項
 国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
(項については便宜的に補充)“

 近代立憲主義国家は,国民の社会・経済生活に積極的に介入し,社会保障政策等を実施するものとして,積極国家化,社会国家化したとされています(佐藤幸治「憲法〔新版〕」8頁)。
 常識に属しますが,立憲主義の歴史を教科書程度におさらいしてみましょう。
 西欧ではかつて王侯貴族による専制政治が行われていましたが,近代に至って,社会の構成員の自由を擁護するため,国家権力を明文の憲法で誓約するという立憲主義を採用するに至りました。
 当初は,国民の人身,経済活動,そして,精神活動に国家が介入しないことが求められました。このような自由を「消極的自由」と言います。
 しかし,資本主義が進展する中で,社会的に弱い立場の人たちが低賃金で,かつ,悪い労働条件の下で労働をすることを余儀なくされるというゆがみが目立つようになりました。
 そこで,現代立憲主義国家においては,国家が社会政策,福祉政策を実施し,社会的弱者の保護を図ることが国家目的の1つとされるようになりました。
 自由主義の中でも,単に,消極的自由を尊重するだけではなく,国家による社会的弱者の救済に見られるような人が実際に生きる上で必要な財の提供を受けるべき地位(積極的自由)を認める立場を得に「リベラリズム」と言います(対して,このような地位を認めず,自由主義を徹底する立場を自由尊重主義(リバタリアニズム)と言います)(森村進編「リバタリアニズム読本」74頁)。
 日本国憲法における積極国家化を象徴する最も重要な規定が,冒頭に示した25条になります。
 25条は,その文言通り,国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を認めたもので,「生存権」を認めた規定とされます。
 規定ぶりが抽象的であるため,25条それ自体は,国家に対して具体的な給付を求める権利,すなわち,具体的権利を認めたものではないとされます。
 ただし,この規定に基づいて給付を求める訴訟は間々提起されます。
 朝日訴訟は,有名な訴訟ですね。
 また,厚生に関する政策が問題となる国家賠償請求訴訟においては,その主張を基礎づけるものとして,この規定が良く持ち出されます。
 このようなリベラリズム的な発想は,耳障り良く聞こえますし,弱者の救済ということ自体は望ましい価値だと「私も思い」ます。
 しかし,問題は,これを政策として行うことが「本当に妥当か」という問題とそこに潜んでいる偽善です。
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