「日誌撰集」

□哲学の価値
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 3 社会保障を実現すべきであるのは誰か?

 最小国家論という考え方があります。
 最小国家論とは,国家の目的を,暴力・盗み・詐欺からの保護,契約の執行などに限定する考え方です(ノージック「アナーキー・国家・ユートピア」序)。
 この立場に立つと,国が社会保障をやったりすることはもってのほかということになります。
 最近話題になっている後期高齢者医療制度に関する議論からすると,老人切り捨て,弱者切り捨てを肯定するような話になってきますから,「心ある人」からはおしかりを受けそうです。
 確かに,老人を含めた弱者保護は大切なことです。
 問題は,これを如何にして実現するのか,という問題です。
 
 前回,社会保障制度というものは,私たち1人1人がお金を出して,私たち1人1人にお金が戻ってくる制度だという話をしましたが,これは「私たち」という集団を主体として見た場合の話であり,細かく見ると,私たちの中のお金のある人から私たちの中のお金のない人にお金を移す制度です。
 そうでなければ,若干古い表現になりますが,蛸が自分の足を食べるような話で無意味な制度になってきます。
 ですから,社会保障制度というものは,お金のある人にお金を払わせることを前提とする制度ということになります。
 
 ところで,立憲国家は,民主制を採用しています。
 国政の最終決定権が国民にあることを国民主権と言いますが,一般の人々の意思に基づいて国政が行われる制度を民主制と言います。
 当然,社会保障制度が国家によって行われるにあたっては,一般の人々がこれを承認しているはずです。
 もちろん,お金を持っている人の承認もあるはずです。
 
 きっとそうなのでしょうが,となると,別に国家,すなわち,公務員集団がお金のある人からお金を集めて,お金のない人に渡さなくても,お金をもっている人自身が慈善事業として行えばよいのではないでしょうか。
 なぜなら,民主制国家なのですから,ある政策が実施されるにあたっては,一般国民の承認があるはずで,お金を持っている人も社会保障制度を承認しているはずなのですから,そもそも,自分自身で慈善事業をやれば済む話であるように思われるからです。

 私が社会福祉等に係わる問題について思うことは,日本では,資産のある人が十分な社会的責任を果たしていないことにあると思います。
 少なくとも,「リベラリズム」を唱える人は,そのような問題意識を持つべきでしょう。
 「リベラリズム」は,福祉政策を実現することを承認するのであって,そのためには,資産のある人が然るべき負担をさせるべきだからです。
 以前にも話しましたが,資産のない人が出すのであれば,蛸が自分の足を食べるような話で意味がないからです。
 問題は,福祉政策を訴える人が,資産のある人に資産を出させるように言わないことです。
 ある日見たテレビニュースで,派遣労働者の労働実態の悪さをテーマにした特集をやっていたことがありました。
 格差社会の問題を取り扱っていたのですが,しかし,これは一種戯画的です。
 というのは,テレビの世界ほど,格差が酷い社会はないからです。
 
 テレビ番組は、実際には、中小の製作会社が作成していますが、テレビの局の社員とその下にいる製作会社の社員の人の年収の格差はとても広いといわれています。 
 このサイトの趣旨からは少しずれていますが、局の人の年収の平均は約1400万円といわれるのに対し、孫請製作会社の社員の人の年収は、300〜400万円といわれています。

 確かに,このような労働実態について広く報道する意義はあるのでしょう。
 しかし,そこには不遜を語る自意識はないのでしょうか。
 
 良く消費税の増税の是非が問題となります。
 テレビのアナウンサーやコメンテーターは,税金の無駄遣いの解消のないまま消費税を増税すべきではないと言います。
 けれども,消費税ではなく,高額所得者の所得税や大企業の法人税を増税しようとは,なぜ,言わないのでしょうか。
 多分,このように語る人たち自身の所得が高いのです。
 また,マスコミ自体が,広告収入がなければやっていけないわけですから,広告主の不利益になる話はできないのでしょう。
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