「日誌撰集」

□哲学の価値
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 5 政策型訴訟と社会保障の実現のあり方

 訴訟の類型として,「政策型訴訟」と呼ばれるものがあります。
 政策型訴訟は,その権利を正当化する具体的な権利を定めた法律はないけれども,憲法等に規定された抽象的な権利を手がかりに,実質的には,国家に対して,特定の立法を求めることを意図してなされる訴訟で,多くの場合,国家賠償請求訴訟の形式でなされるものです。
 以前にも,述べましたが,生活保護基準に関する「朝日訴訟」などがその典型です。
 しかし,この類の訴訟には,一種の欺瞞が付きまといます。

 この種の訴訟には,よく弁護士の先生方が「手弁当」で代理人(民事訴訟では「代理人」。行政訴訟も,手続は民事訴訟で行われるので,代理人です。刑事訴訟の被疑者,被告人に付く場合は,「弁護人」)になります。
 そこに一種の欺瞞があるように思うのです。
 裁判なのだから,弁護士の先生が就くのは当たり前と言えば,当たり前ではあります。
 ただ,国家賠償で支払われる現金の原資を誰が負担するのかを考えると疑問が残ります。
 国家というのは,「抽象的な存在」です。
 国家賠償請求で国が損害を賠償すると言っても,「国家さん」という具体的個人が「仕方ないなぁ」などと言って,お金を払うわけではないのです。
 もちろん,税金で支払うわけです。
 では,その税金は誰が支払うべきものなのでしょうか

 政策型訴訟についての弁護士の欺瞞とは,すなわち,彼ら自身が富裕層にあることに由来します。

 リベラリズムの価値が重視される国家においては,社会的弱者の保護が国家目標の一つになります。
 この場合,その保護のための費用を誰が負担すべきかが問題となります。
 医療にしろ,年金にしろ,その財源が必要となるからです。
 そして,その負担は,社会的に強い人,経済的にいえば,資産のある人が負担すべきだということになります。
 そうでなければ,社会的弱者の間で負担を押し付けあうことになってしまうからです。
 また,資産のある人というのは,経済的な競争に勝った人です。良くも悪くも,競争社会なのですから,怠けているのではなくて,努力していても競争の中で負けてしまう人が出てきます。
 その中では,努力を越えた運の要素も重要になってきます。
 競争社会の中では皆が努力するのですから,競争が行き着く先に勝利する人と敗北する人が出てくる境目は,限りなく運の良し悪しということになっていきます。
 資産のある人は,自分の努力もさりながら,他の努力しながら運で負けた人が存在することによって,資産を得たともいえるわけです。
 その意味で,資産のある人は,その資産形成をなさしめた前提であるところの社会に対して還元をする必要が出てきます。
 以上のような事情から,資産のある人が社会的弱者のために財産的な負担をすることが基礎づけられます。

 政策型訴訟が,国家賠償請求の形でなされる場合,勝訴したときに国が払うべきお金は,税金から支払われることになります。
 そして,リベラリズムの観点に立つならば,税金は,資産のある人ほど支払うべきことになるはずです。
 そうすると,弁護士は富裕層なのですから,その税金を支払うべき人だということになります。
 
 弁護士は,日本社会においては富裕層に属します。
 本人らは,そんなでもないと言うかもしれません。
 しかしながら,それは,彼ら自身の周囲にいる人たちがまた富裕層の人であって,資産のない人は彼らにとっては「特別な人」であることに由来するように思います。
 日本弁護士連合会のホームページを探ると,2006年5月に調査がされた「弁護士実勢調査」の結果が掲載されています。
 それによると,収入が1000万円以上になる弁護士は,回答をよせた弁護士のうちの83パーセントに上ります。
 
 国家賠償訴訟で国が敗訴した場合は,その賠償金は国の税金で支払われるのですが,それならば,そもそも多くの税金を支払うべき多くの資産を保有する弁護士自身がなぜ自分でそのお金を払わないのでしょうか。
 彼らが国に対して支払えという金額は,彼ら自身が個人の資産を出せば当然支払うことが可能な金額になろうかと思います。
 しかし,自分たち自身でそれを負担しないということは,それこそ欺瞞でしょう。
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