「日誌撰集」

□哲学の価値
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2 道具としての哲学

 また,次のような見方もあります。

 
“(哲学書に)なるほどこういう「原理」が書かれているなということが多くの人に理解されたとき,それはもっと広範にもっと深い仕方で,人間の生にとって役立つような「知」になるからである。”(竹田青嗣+現象学研究会「知識ゼロからの哲学入門」11頁)

 あるいは,現代思想についてですけれども

“(現代思想は)その目的と使用法さえ理解することができれば,非常に有用な「道具」であるはずです。「ほとんどの現代思想の研究者」は,現代思想がそのように(日々の生活の中で)使用されることを願っています。”(高田明典「世界をよくする現代思想入門」12頁)

という人もいます。
 これらの考え方は,哲学(現代思想)の知識=道具という見方をしています。
 
 知識は道具である。
 
 これは極普通の見方のようです。
 医学や工学の知識,それを基礎付ける物理学や化学,そして,数学の知識は,明らかに道具です。
 
 しかし,世の中で「知識」と呼ばれるもののすべてが「道具」に還元できるかには疑問があります。
 たとえば,歴史認識がよく問題になったりします。
 有名なところでは,いわゆる「従軍慰安婦問題」が挙げられます。
 
 いろいろな見方がありますが,たとえば

「官憲による奴隷狩りのような連行が朝鮮・台湾であったことは,確認されていない」

という知識は,道具なのでしょうか。
 もっと分かりやすく言えば,刑事事件で,被告人は,否認しているのに,有罪判決が出たりしますが,その「有罪を基礎付ける事実」に関する知識は,道具なのでしょうか。
 彼を有罪にしたい側にとっては道具なのでしょう。しかし,「彼」本人にとってはどうなのでしょうか?

 医学や工学の知識というのは,「役立つから正しい」とされるものです。
 実際に,その知識を前提にして治療などをやったり,便利な道具を作ったりしてみて,実際に治ったり,実際にその道具を使って快適な生活が送れたりすることによって正しい知識だとされるのです。
 そして,実際には治らなかったり,道具を作ってみてもうまくいかなかったりしたときは,その知識は間違っていると言うことになります。
 ですから,医学や工学の知識は,「役立つ(ことが実証される)から正しい」ということになります。
 けれども,歴史認識に関する知識は,「正しいから役立つ」知識です。
 その知識自体は,役立つかどうか,という方向性は持ちませんが,その知識が正しいことを前提として振る舞うことが強制されることによって,役立つ知識です。
 哲学に関する知識も,その知識を駆使することによって得をするという場面は余りないように思います。どちらかというと,その知識が正しいことを前提とすることによって,自分の意見を通しやすくするなどの効用がある類の知識でしょう。だから,「正しいから役立つ」知識と言えます。
 
 しかしながら,その正しさは,何に由来するのでしょうか。
 そして,正しいということを立証することはできるのでしょうか。

 「正しさ」はよく「真理」などと呼ばれますが,実は,この真理を上手く説明することということそれ自体が哲学上の大問題なのです。
 真理が上手く説明できない以上,本質的にある考え方を真理であるとして,主張することは難しいということになります。
 そして,当然,「正しいから役立つ」という言葉の前段,すなわち,「正しい」という属性が本当に哲学の知識にあるのかには疑問なのです。
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