「日誌撰集」

□哲学の価値
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3 原著の誤り

(1)単純な誤り

 これまでは,翻訳段階の問題を取り扱ってきましたが,そもそも元々の著作に誤りがある場合があります。

 先日引用したポール・フルキエ哲学講義4(ちくま学芸文庫版)には次の話が続きます。

「(原著には)訳者が気付いた,延べ三十に及ぶ誤植や引用文の誤りのか所(中には引用文の意味が全く正反対になっている件りもいくつか見られた)は正しい文章に戻して訳した。」

……。
 
 ほかにも,ある著作がその著作者とされる人の本意に反している場合がままあります。

 有名なところでは,ソシュールの一般言語学講義でしょう。
 レウィ・ストロースに始まる構造主義に大変な影響を与えた著作ですが,この本自体はソシュール本人が書いたものではなく,ソシュールが数回に亘り起こなった講義を,(余り出来のよくないとされる−−私なんかよりははるかによいのでしょうが)聴講者が無理にまとめたものであるため,内容的に誤りがあることは丸山圭三郎がつとに指摘するところです。

 この種の編集間違いの問題がある典型として,ヘーゲルの哲学史講義などが挙げられます。
 加藤尚武がよく指摘していますが,ヘーゲルの講義を読んでそれがヘーゲル哲学だと理してはならないと言われます。

 たとえば,栗原隆『ヘーゲル 生きてゆく力としての弁証法』14頁は

”体系と思われてきたヘーゲル哲学の各部門は (略) 「哲学史」も実は、ヘーゲルの没後、弟子たちによってまとめられたのである。近年、ヘーゲルの授業を受講した学生による筆記ノートを踏まえて、新たな講義録撰集が刊行されている。これをつぶさに検討すると、これまで刊行されていた
ヘーゲルの講義は、テキストクリティークに大きな問題があることがわかる”

との指摘をします。
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