「日誌撰集」

□「私的芸術論」
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7 結語

 本宮ひろ志の「売れるか」という言葉には,芸術作品における表現方法としての必然の問題が横たわっています。
 作家はどうしても自分の持つテーマやメッセージにこだわりがちです。
 このため,技術に関する側面,すなわち,どのような方法を用いればそのテーマやメッセージが相手方に伝わるのかという側面に対する検討がおろそかになります。
 「売れるか」という言葉には,「読者に受け入れられるか」という問題意識が背景にあり,更にさかのぼれば,「どのようにしたら受け入れられるのか」という方法論上の問題があります。
 時に,「社会派の作品」や「内面をえぐった作品」が漫画雑誌に掲載されることがありますが,往々にして,「かったるい」のは,その点に対する配慮がおろそかになっているからでしょう。
 また,テーマ性やメッセージ性のある作品が良く芸術性のある作品だと評価されがちなところがあります。末期の黒澤明の映画(明らかにつまらない)や,「火の鳥」を初めとした手塚治虫の末期の作品群がその典型です。
 しかし,それは間違いです。
 どんなにテーマ性やメッセージ性があっても,人の心に浸透する強度がなければ,芸術作品ではありません。
 テーマやメッセージを単に表白するだけであれば,わざわざ芸術作品の形式を採る必要はないからです。
 
 表白されたメッセージが相手方に受け入れられるような形式が整っていること,そうであって,初めて芸術作品なのです。
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