「日誌撰集」

□「私的芸術論」
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2 教 育

 個性などというと,よく教育現場で「個性の尊重」などと言われますが,それも好ましいものではありません。
 そもそも教育というものは,人間を特定の鋳型にはめる行為です。
 そこには,従前の個性を切り捨てるという側面が常につきまとうのであり,それを否定してしまったら,そもそも教育というものが成り立つはずがありません。
 
 鋳型にはめる方法は多様です。
 頭ごなしに怒鳴るのもあれば,共感を誘ってその気にさせてそれと知らない内に教育をしようとする者の思惑する方向へ行かせることもあるでしょう。
 集団生活の中で助け合いの心などを感得させるということも同様です。
 一見被教育者の自由を尊重するように思わせつつ,絶妙に働きかけて,「助け合いの心を持つ」という鋳型へとはめ込んでいくのです。
 だから,表面的な「被教育者の自由の尊重」などは目的達成のための技術に過ぎず,目的はあくまで鋳型にはめることにあります。
 頭ごなしよりも,教育者のメッセージをそれと知らない内に内面化させることにより,被教育者の心を改変することの方が,反発が少なく成功する方法だから,そんな手段を執るにすぎません。
 ある程度,精神的に成熟した児童生徒が,このような「良心的な教育方法」に反発するのは当然でしょう。
 「自由の尊重」と言いつつ,すでにレールが敷かれていて,ある結論を取るように導かれるのであって,教育には,ある種の嘘がつきまとうのです。
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