「日誌撰集」

□生きることの意味第T集
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【日本語はどこにあるのか?】

 言語というのは,明らかに「決まり」なのですが,不思議な決まりです。
 言語が決まりであるということは,かったるい「文法」の存在や「間違った日本語」などの言い方からも明らかでしょう。 しかし,曖昧さを残す決まりでもあります。
 日本語という言語の規範は明らかに存在するような感じがします。
 でも,その規範はどこにあるのでしょうか?
 日本語はどこにあるのでしょうか?
 NHKのアナウンサーが話すのが「日本語」なのでしょうか? でも,日本語を話す人皆がNHKのアナウンサーが話すように話すわけではありません。

 先日の新聞に「ミスタードーナツとモスバーガーの提携」の話が出ていましたが,普通の人は

「ミスタードーナツ」

の「ドーナツ」については,

「ドーナツ」

と発音するはずです。
 ところが,NHKのアナウンサーは違いますよね。
 彼ら,彼女らは

「ドーナッツ」

と発音する。
 因みに「ター」の発音も少し変だったりします。

 そうでなくても,「綺麗過ぎる日本語」であり,「普通の日本語」ではないですよね。
 その意味では,彼ら,彼女らの話す日本語は,「少数派の言語」です。
 地方に行けば,方言というのがあります。
 標準語とは,元々東京の山の手言葉が元であるとされていますが,厳密にそれというわけでもありません。

 いわゆる標準語とは,明治期以降に作られた「人工言語」であるわけです。

 ちょっと話はずれますが,明治の元勲の人たちというのは,本当にすごいと思います。
 欧米列強に伍するために,言語を含め「伝統」のないところに「伝統」を作り上げたのですから。
 「伝統」とされるものをちょっと調べると,明治期に確立したり,創設されたりするものが非常に多いことに驚かされます。
 日本の「伝統」の中心は,やはり,「天皇制」ですが,現在行われている宮中祭祀が確立するのは,明治に入ってからです。
 また,時々「自然葬」がマスコミに取り上げられたりします。
 「火葬」が日本の伝統などといわれたりしますが,明治以前は土葬が一般的でした。
 だいたい,室町時代なんか「放置」が普通なのですから。
 いわゆる「神前式の結婚」もそのような作られた伝統ですね。

 キリスト教の解禁と「婚姻の秘蹟」の魅力から庶民がキリスト教に惹かれてしまうことから,対抗するために作られたのが,「神前式の結婚」というものですね。
 某神前式の結婚式場の惹き句である「いつもトラディッショナル」などというのは,そんなことは無いわけで。
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