「日誌撰集」
□生きることの意味第T集
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(3)言語の学習
私たちは,言語の規則を内面化することによって言語を使えるようになり、意思疎通ができるようになっていきます。
しかし,言語の規則を内面化するあり方は,人により多様です。
なぜでしょうか。
私は,その理由が言語の学習過程にあると考えています。
まず,確認しなければならないことは,言語の規則は生来的に頭脳に刻印されているものではないということです。
そうでなければ,地域によって言語が違うということを説明することができません。
したがって,言語は後天的に学習される規則であるといえます。
この学習は,斉一的に行われるのではありません。
非常に断片的に行われるのです。
主として家族とのコミュニケーションの中で,やすりを削るように次第に学習がなされていきます。
やすりで削るようにというのは,言語を使用する場面での一対一対応によってしか学習をすることができないということの比喩です。
たとえば,学習する側に,予め何らかの言語の規則が与えられているのであれば,話は早いでしょう。
教育する側と学習する側とで,それぞれ言語の規則が内面化されていれば,仮に,言語の規則の相違があろうとも,それぞれの言語の規則を比較検討することによって,体系的に言語の規則を学習することが可能でしょう。
殊に,教育する側に学習する側の言語の規則に対する知識があれば,翻訳された言語の体系を示せば良いのですから,教育,そして,これに対応する学習は,早期に行うことが可能でしょう。
日本語を知っている英会話学校の講師が,日本人に英会話を教えたりするのと同じことです。
しかし,学習をする側に全く言語の規則が内面化されていないとすると,言語の規則を学習させることは非常に困難になります。