「日誌撰集」

□生きることの意味第T集
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「私自身は,いつか死んでしまう。だから,私の人生は意味がないかも知れない。けれども,私に子供ができれば,その子供が私の意思や私のDNAを後まで引き継いでくれる。いずれ死んでしまう。でも,その子供にも,また子供――私にとっては孫――ができて。だから,未来に子孫を残していくのが,私の生きていく理由です。」

 問い自体には,端的に答えているのだから,更に理由はいらないはずなのですが,なぜか,理由を付けようとし,あるいは,更に理由を問おうとしてしまう。

 多くの場合,「生きる理由は何か」という問いは,単なるその人毎の動機を聞くことを目的としてはいません。
 私のいうところの「事実としての理由」ではありません。
 そうではなくて,「生きること」それ自体を本質的に動機づけるような理由を聞いているのです。

 生きる「本当の」理由を聞いているのです。 

 「未来に子孫を残すと言っても,残る保障はありませんよね。たとえば,あなたの子供があなたと同じように結婚して子供を作るとは限りませんよね。そうすると,あなたのいう理由というのは,生きる本当の理由ではないのではないですか。」

 やっと私たちは,「当為としての理由」として,「生きることの意味」を検討できるところまで来たのです。
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