「日誌撰集」
□生きることの意味第T集
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【人生の意味の問い直し】
問い直しは内省的な方法をとりますが,同時に,一種の社会性を帯びます。
社会性としては,2つの点が考えられます。
「生きることの理由」を問う動機は,自己の人生に対する否定的な評価に基づきます。
自殺を絡めて問われるのが典型的です。
しかし,重要なことは,自殺を念頭におきながらそれを問う人は,生きることに対し、徹底的に消極的な評価をしているのではない,ということです。
本当に、否定的な評価を徹底しているのなら,問いを発する前に自殺するはずです。
だから,質問をする人自身は,その言葉のニュアンスに反して人生の「価値」を極めて肯定的に捉えているのです。
というのは,その人の人生は,否定的にしか捉えようもないほどどうしようもない人生のはずなのですが,どうしようもない人生であるにも係わらず,その人は尚生きているからです。
したがって,「生きることの理由」を問う動機は,自己の人生に対する否定的な評価なのですが,それは同時に生に対する極めて強固な欲望があった上で初めて発せられる問いなのです。
問いを発する人は,生きることに対し,強固な欲望があるのですが,自己の実際の生のあり方には不満があります。
自分自身の生が面白くない。
周りの人間は楽しそうに生きているのに,自分の人生は面白くない。くすんでいる。
時間の大半が職場や学校と自宅の往復で終わる。
人付き合いはあるのだが,社交的に笑い合うだけで,深い交わりがあるわけでもない。
専ら儀礼的である。
時間がないから充実しないのだと思うのだが,時間があっても特にすることはない。
やることといえば,テレビを見る,本を読む,映画を見る……貨幣で買うことのできる他人の作った商品を消費するだけである。
自分の欲望する生と実際の生との間には落差がある。
とはいえ,その克服の手立てはない。
自分には生きる技術がない。
その技術は俗なものであって,仕事を上手くやっていくとか,人と上手く話をするとか,異性と上手くつきあうとか,上手く服を選べるとか,良い店を見つけるとか,そういう技術である。
その技術を身につけるべく努力もできない。
努力をするにはもう時間がないようにも感じる。
努力をしろというが,そもそも努力も運不運の問題だろう。
努力しようと思って,本当に努力できるのは才能の問題である。
努力して実際にそれが実るかどうかは運の問題である。
技術的な不都合を克服するための努力もできない。
漫然と時間が過ぎるだけである。
とはいえ,落差の穴埋めをする必要がある。
どうやるか。
自分の生に充実感を感じない理由は,自分の生を他人の生と比較するからです。
その対処法の1つは,他人の生との比較を止めることです。
しかし,これには,精神的な強さが必要です。
許よりこれまでの述べたような不満を抱く人が持ち合わせるようなものではありません。
したがって,別の戦術を採ることになります。
俗な価値を超える価値が自己の人生に付与されていることにすること。
そして,他者の人生を貶めること。