「日誌撰集」

□生きることの意味第T集
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【系譜学的考察の問題点】

 しかしながら,以上のような系譜学的考察には,問題点もあります。
 
 1つは認識論上の問題,もう1つは倫理的な問題です。

 1つ目の認識論上の問題は,極めて単純です。
 系譜学的考察は,ある主張をする人の内心的な動機を言い当ててそれを批判するものです。
 でも,人の内心のことが本当のところ分かるのでしょうか。
 系譜学的考察に基づいて相手を批判し,その批判のくさびが相手の心に突き刺さればそれは良いのでしょう。
 しかし,相手から「そんなこと考えてないよ。」と言われてしまえばそれまでです。

 「私は,他人の生を貶めようなどとか考えていない。純粋に不思議なだけ。」と言われてしまえばそれまでですし,実際に,そういう人もいるでしょう。
 だから,批判としては,それほど有効なものとはなりません。
 私は,ニーチェ的な感性は好きなのですが,全体としては好ましく思えないのは,訳の分からない記述が多数あることのほかに,以上のような非本質的な批判をするからです。
 
 もう1つの倫理的問題というのは,系譜学的考察をしようとする人の動機です。
 系譜学的考察をする人に対する系譜学的考察です。
 系譜学的な考察を使って批判をする理由は,自分が「生」に対して持っている価値を守るためでしょう。
 「生きることの理由」を問う質問の背後に潜む生に対する否定的な評価を排除することによって,自分の「生」に対して持っている価値を保守しようとすること,それが為に系譜学的考察を行うのです。
 そして,さらに次のことが問題となります。
 なぜ,「系譜学的考察という方法を使うのか?」という点です。
 それは,系譜学的考察を用いようとする人自身が,提起された問題,今回であれば,「生きることの理由」について適切な回答をすることができず,その理由がないことを認めざるを得ないからです。
 だから,正面から反論をしない。
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