「日誌撰集」

□生きることの意味第T集
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(1)生命それ自体の軽さ

 私は,生命を尊重しなければならない,と思います。
 同時に,「生命を尊重しなければならない」という主張は,「カレーライスが好きだ。」というとの同じ意味での個人的な好みの吐露にすぎないのだとも思います。
 生命の尊重は,恣意的で本質的な根拠はないのではないでしょうか。
 なぜなら,私たちは,ある面では非常に生命を軽視しており,生命を尊重するか否かはまったく私たちの恣意的な気分によるからです。
 
 たとえば,私たちは,毎日いろいろな生命を食べます。
 夥しい生命を奪い,加工し,自分の食に供します。
 
 それは私たちが生きるためにやむを得ないことなのだ,という人もいます。
 しかし,私たちは,それを大量に残飯として捨てます。
 また,農産物が実りすぎた場合にも,それを大量に捨てます。
時折,ニュースでキャベツ畑のキャベツが重機で押しつぶされていく様を見ることがあります。
 さらに,ファミリーレストランで使用される食材として使われる農産物についても,規格を本社側から厳格に決められていて,規格外の物については廃棄されるという話もよく聞くところです。
 そもそも私たちの生存のためにほかの生き物を捕食して良いということは,前提として捕食をする私たちの生命に価値があることが前提でしょう。
 しかし,私たちには,他の大量の生命を犠牲にして生きる価値があるのでしょうか。
 
 私たちは,別に生きる必然がなくとも,他の生物を殺します。
 たとえば,子供は遊び半分で蟻を殺します。

 先日,知人と子供のころのザリガニ釣りの話をしました。
 そのとき,ザリガニを釣るための餌が話題になったのですが,思えば釣ったザリガニの尾をもいで餌にしておりました。
 子供でなくとも,大人も遊び半分で生物を犠牲にします。
 おしゃれなところでは狩猟になるのでしょうけれども,ブラックバス釣りなどもひどいものです。
 キャッチアンドリリースなどと言われますが,釣られたブラックバスの方は,口やらのどやらに釣り針で穴をあけられる訳ですから,「自然にやさしい」訳がありません。

 ペットなどもそうですね。
 たちの悪いブリーダーも稀ではなく,狭い飼育小屋に押し込められ,栄養状態等が悪く,目から膿が出たり,足が上手く動かせない状態になっても,繁殖のため利用されるという話などもよく聞くところです。
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