「日誌撰集」

□生きることの意味第T集
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(3)未来への連続性

 生きることの理由としてよく挙げられるのは,自分は死ぬことがあっても,ほかの人の思い出に残るとか,芸術作品等という形で生きていた証を残すことができるということです。井上雄彦の『バガボンド』で,臥せった胤栄(じいさんの方)が人生を回顧しているとき,槍術を創始し,その技を弟子が伝承していく旨弟子の阿含に言わせる場面が出てきますが,その台詞に出てくる人生観も同様のものでしょう。
 
 これらの考え方は,死後も何らかの形で自分の存在の証跡が残ることに生きることの価値を見いだす考え方といえます。

 ただし,このような発想の大本には,生に対する消極的な価値観が伏在しています。
 というのは,自分の存在していたことが将来に亘って永続していくから価値があるという考え方なのであって,自分が生きて死ぬという一個の人の人生という局面しか見ないのであれば,死は避けられない以上,生きることのむなしさを否定できないという発想があるからです。
 生きてそして死ぬというそれだけで価値があると思っているのであれば,別に死後も人の記憶に残るであるとか,死後にも生きていた証を残すことができるなどということを言う必要がないはずでしょう。
 その意味では,このような考え方は,一種折衷的というか,生に対する消極的な見方を前提とする考え方であるということができます。

 しかしながら,ほかの人の記憶に残るとしても,そのほかの人もいつか死ぬのです。

 また,生きる証を残すことができるという考え方の前提はこの地球がこれからも永続的に存在することを前提とします。
 しかし,地球の永続性は,保証されているのでしょうか?
 
 少し前,「アルマゲドン」という映画が上映されました。
 地球に彗星が衝突し,その衝突によって,地球の滅亡が予測されたことから,その彗星の破壊のための計画を実行するという筋書きのものでした。
 更に古くは,新井素子の「一目あなたに…」があります。こちらの方も,同様のプロットのものですが,主人公はまったくの一市民であり,死の避けられない中で自己の内省を深めていくという筋書きのものです。その意味では,日本的な作品ですね。
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