「日誌撰集」
□生きることの意味第T集
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第2 どんな問題なのか
「生きる意味は何か」という問題は,何を問う問題なのでしょうか。
大きくは,2つの解釈方法があるでしょう。
1つは,「生きる」という言葉の日本語における用法に関する問題であると考える解釈。
もう1つは,「生きる理由は何か」という問題であると考える解釈です。
さて,敢えて「生きる意味は何か」と問う人の問題意識は,おそらく後者にあるのでしょう。前者の解釈も当然あるのでしょうが,何やら学問的な感じもします。
本丸は,後者の問題ですが,予備的な考察として,前者に係わる問題について考えて行こうと思います。
1 予備的考察:「生きる」という言葉の日本語における用法
(1)問題設定
さて,閲覧者の方の中には,「生きる意味は何か」という問題を「生きるという日本語の用法」であると解釈することに違和感を抱く人もいるかも知れません。
違和感を抱く理由は,次の2つに分けられるのではないかと思います。
[T]「生きる意味」なのだから,用法ではなく,「『生きる』という言葉の定義に関する問題」と考えるべきではないか。
というものが1つ。
そして
[U]「生きる」ということは,日本人に限らず,どんな人種,言語を持っている人についても共通の問題なのだから,「日本語の用法」という言い方では狭すぎるのではないか。
というものが1つ。
こういうことになるのではないか,と思います。
以下,この2つを更に分けて検討したいと思います。