「日誌撰集」

□生きることの意味第T集
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(2)言葉の「用法」を問題とすることについて

 「生きる意味」なのだから,「定義」とする方が適切ではないか,と考えるのは,普通の反応でしょう。
 なぜ,敢えて「用法」と言う必要があるのでしょうか。

 私自身も,日常では,「意味」や「定義」という言葉を使います。
 まさしく,日本語という言語に関する規約に従って使うわけです。
 しかし,言葉は常に曖昧さを残します。
 たとえば,「意味」は,冒頭で述べたように,「定義」という使われ方をすることもあれば,「理由」という使われ方をするときもあります。
 実は,「定義」という言葉の意味も曖昧です。
 いえ,そもそも「定義」なんてできるのでしょうか。
 私たちは,いろいろな場面で定義をしていきます。
 しかし,私たちが,定義ということでやっていることは,正確にいうと,「比喩」ということになるのだと思います。
 ある言葉を違う言葉で言い換える,そういうことにすぎません。

 私たちは,定義というのは,ある言葉の本質を語ることのような気がします。
 しかし,言葉の本質などというものはあるのでしょうか。
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