「日誌撰集」
□生きることの意味第T集
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【実念論と唯名論】
言語の本質については,実念論と唯名論という区分もあります。
[T]実念論は,ある個物が特定の名称で呼ばれるのは,その個物が当該名称の本質を持つからであるという考え方
[U]唯名論は,ある個物が特定の名称で呼ばれるのは,その個物の本質とは無関係に単に名づけられたことによって決まるという考え方
です。
前者は,自然説に,後者は,約束説に結び付くと言えそうです。
しかし,唯名論,約束説が非形而上学的なので,優れているとは言えません。
というのは,唯名論も,名づける前提として,名づける対象となっているモノやコトは,言語とは無関係に,客観的に存在するという考え方を持っているからです。
その意味で,言語は,特定のモノやコトに対する名前ではありません。
正しく言語自体が,客観的に存在する世界を区分し,モノやコトを浮き彫りにさせるのです。
このことを説いたのが,ソシュールです。
ソシュールは,言語によって,客観的な世界が初めて区分されるのだ,と唱えました。
これを言語名称目録観の否定と言います。(これがアメリカ言語学になると「博物学の神話」の否定になるのでしょう)
因みに,田中克彦「言語学とは何か」によると,二十世紀初めころの言語学者の中では当たり前の認識であったとされます(67頁)が,それはさておきます。
言語に先行して観念が存在しない以上,あまり「○○とは何か」ということを問うても無意味であるという感じがしなくもありません。 そのため,このような問いを「本質主義的」な問題であるとして,考慮すべきではないと言ったのがカール・ポパーです。