「日誌撰集」

□法曹関係小論集
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「法科大学院教育について(5)」



確かに,思考力や創造力などと呼びたくなる力も必要ではあるでしょう。
しかし,このような能力を身につけるための具体的な方法論は未確立ですし,実は,大本にある制定法解釈自体の方法論が未確立であって,厳密には,その妥当性は特定の集団の中でのみ保証される慣習的なものにすぎません。
この実情があることからすると,「考える教育が正しくて,覚える教育は駄目」などという発想は十分な根拠のない主張であることが明らかになります。

実際,新司法試験の合格者の知識の程度を見ると,下位層――ぎりぎり合格できた層――の法律知識にはかなりの疑問符が付きます。
そのことは同時に,新司法試験に合格する上で必要な知識は相当少ないものでもよいということになります。
そうすると,なぜ,その程度の知識すら身につけさせることができないのか,という問題が出てきます。
判例・通説に関する「知識」は実務上も重要であり,それくらいの知識があれば,新司法試験に受かるわけですから,それくらいはきちんと教えるべきでしょう。

法科大学院の教官の中には,受験知識を教えることでクリニック等の「考える教育」ができなくなる,などという主張もあるようです。

しかし,かつて旧司法試験時代,司法試験予備校は,1回あたり3時間,週3回,2年で司法試験の各科目の判例・通説程度の基礎知識を教えていました。
そうすると,週5日間のうち,知識プロパーのことを教えるのに必要な時間は,1.5日程度であり残る3.5日で,クリニック等の「考える教育」を行う時間は充分に作れるはずです。
また,司法試験予備校で教えていた者も,ほとんどの場合,弁護士という本業がある人たちでした。
できないというのは,単なる法科大学院経営者そして法科大学院教員の怠慢にすぎません。

口先だけの理想を語るよりも,理想を実現するための堅実な方法を模索するのが実務家であり,それを教える者が,それをできないというのは矛盾でしかありません。

「法科大学院の教員は,『自分たちが教えにきてやっているんだ。』という態度で,サービスと引き替えに学費を受け取り,給料が支払われているという認識がない。」

との法科大学院生の声もあるようです。

現実的に何ができ,最低限何をしなければならないのか。それを中心にしてどのようなことをプラスアルファとしてできればよいとすればよいのか。

現在の法科大学院での教育は,その見極めができていないように思われました。



このような点を改善しなければならないという良心的な法科大学院の教官も出てきており,たとえば,伊藤眞は

法科大学院においいては、予備校に対する批判を支えるだけの教育を提供しているだろうか。(中略)適切な対応をしないままに学生の予備校依存を難じることは,よい品質の製品を供給する姿勢をとらないままに,市場に粗悪品があふれているという批判なすのに類すると思われる。

と言います(伊藤眞「法科大学院教育の在り方についての今後の展望と課題」法律のひろば2008年11月号52頁)

多額の学費を払っている学生のためにも,がんばって欲しいものです。
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