「日誌撰集」

□法曹関係小論集
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「司法法修習生の質の低下と法曹人口問題」



平成20年10月6日の新聞紙面に司法修習生の質が低下しているとの
司法研修所による発表に関する記事が載っていました。
新聞紙面では、概ね、新司法試験制度により合格者数が増えたことから、司法修習生の質が低下しているとの論評がされています。
しかし、司法研修所が発表している対象は司法研修所の修了認定試験(いわゆる2回試験)の不合格者の答案を論評してのものなのですから、不合格になる以上、質の悪い層を対象としたものなのですし、目くじらを立てるほどのものではないように思えます。
そもそも、そのような質の悪い者を選別するためにこそ試験があるのですから。

ただ、7月の日弁連による緊急提言を含めて、今更ながら新司法試験制度の下における法曹、特に、弁護士の質の低下を問題視する論評が多いのはどうしてでしょうか。

日弁連内の法曹人口増大に対する消極的立場の弁護士(たとえば、高山俊吉)によると、1000人が適正員数であるなどと言います。
しかし、(旧)司法試験合格者は、平成に入るまで500名で頭打ちになっていました。そして、平成十年代に入って初めて1000人台に入ったのです。
そして、その1000人台に入った時点で合格者の質の低下に関する問題は出てきていたのです。
そうであれば、更にそこから増員すれば、質が低下するのは当たり前で、ですから、今更おかしいと思うのです。

むしろ、ある程度の参入規制を設けるにしても、基本的に、弁護士同士が競争し、能力のない者は淘汰されるという環境を作ることで、能力のない者が弁護士として活動するのを防ぐという政策の選択をしたのではないでしょうか。

考える前提として、やはり、法曹、特に弁護士の増員は必要でしょう。
弁護士は大都市に偏在し、地方には極端に少ないという問題がありますし、また、実際問題として富裕層に対するサービスが中心となっている結果、ごく普通のまさしく市民に対してリーズナブルなサービスが提供されていなかったきらいがあり、競争をさせることで、弁護士報酬の相場を下げていく必要があるからです。

もちろん、増員をすれば、質が低下することはある意味当然です。
問題はそれをどうやって防ぐかです。

1つの方法として「教育」によって行うというのがあるでしょう。
しかし、日本の教育一般の実情を考えると、決して軽視されてはいけないと思うのですが、やはり、教育という手法でうまくいく保障があるとはいえません。
そのことは,「幼稚園から大学までの日本の学校教育がどの程度成功しているのか?」を考えれば,容易にわかることであると思います。
法科大学院という特別の「箱」を作ったところでその保障があるわけでもありません。
また、業界団体、すなわち、日弁連での研修によって質の維持を図るということも方策としてありえます。しかし、日弁連自体が決して一枚岩ではありません。日弁連から出している「自由と正義」に総会の議事録が出ることもありますが、それを見ると、研修の義務化の問題が出るたびに反対派の強い主張が出されていることがわかり、業界団体による質の維持というのは困難であると思われます。

そうなると、弁護士同士に競争をさせ、パイの食い合いをさせることにより、能力のない弁護士が淘汰されるシステムを確立することが合理的であると思われます。
法曹人口問題では、よく「適正員数論」が出されることがありますが、競争によって淘汰を生じさせる以上、過剰供給をしてパイの取り合いをさせるのは当たり前で、適正員数論というのは適切な議論ではありません。

弁護士を過剰供給すれば、人権保護の活動が低調になるという意見もあります。
しかし、ほとんどの弁護士はいわゆる人権保護のための活動はしていませんし、やる人でも、仕事の中心ではありません。事務所経営や自分自身の生活水準の維持のため、圧倒的多数の弁護士は、富裕層を相手にして稼動しているのです。人権保護の活動をする人はどのような状況になってもするでしょうし、憂慮するほどのことではないと思われます。

また、弁護士人口が増えて、営業が困難になってきたことから、近時国選弁護事件を受任する弁護士が増加する傾向にあることや、弁護士報酬自体が低下する傾向にあり、サラリーマン等の真の一般市民が弁護士を使いやすくなっている状況にあることに照らすと、人権保護の観点からも、弁護士の過剰供給は、利点があるように思われるのですが、いかがでしょうか。
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