「日誌撰集」

□法曹関係小論集
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「法科大学院教育について(1)」




《緒論》

『法律のひろば』2008年11月号に「法科大学院教育の現状」と題して特集が組まれています。
内容的には

【法科大学院の研究者教官の中には】学問の自由の名の下に,研修等への不参加を積極的に正当化する場合すら見られる。
(伊藤眞『法科大学院教育の在り方についての今後の展望と課題』48頁)

という学生から多額の授業料を徴収し,そこから給与を得ている法科大学院教官の憂慮するべき実情がざっくばらんに書かれているか所もあるなど興味深く読みました。

しかし,未だに


実務家教員に対しても,あるべき法曹像を学生と共に探究していく存在としてよりも,すでに司法試験に合格した経験者として,勉強の仕方や答案の書き方といった試験に受かるノウハウを伝授してくれる予備校教員的な役割を求める傾向が強まっている。
(中略)関西学院大学法科大学院は,このような予備校化現象に正面から立ち向か【っている】。
(亀井尚也『実務家教員から見た法科大学院?弁護士』44頁〜45頁)。

あるいは

司法試験に合格することが最大の目標になりがちな法科大学院生にとって,陥りがちな誘惑はいわゆる「確立された実務」の基礎となっている判例・通説を要領よく身につけることである。
(伊藤眞『法科大学院教育の在り方についての今後の展望と課題』48頁)



などという各論者の称揚するような独創性や思考力を欠いた「画一的な」(亀井前掲52頁)教育の在り方についての「問題意識」が示されるのには疑問を感じました。
確かに,思考力や創造力などと言われるようなものは,法実務において必要なのでしょう。
しかし

思考力や創造力などと言ってみても人によって捉え方が多様であり,そうである以上,どうやればそれが成長するのかの方法論を確立することができない

わけですし,実際

明確な方法論なしに,多量のレポートをやらせたり,とにかくクリニック(弁護士と一緒に実際に法律相談を受ける現場での実践)をやらせる根性論的な方法論でやっている

にすぎないように思うのです。

法科大学院で教育ができる時間は限られているわけですからできることを確実にやるべきではないのかと思うのです。
そして,確実にできることは,伊藤前掲51頁が批判するような

「確立された実務」の基礎となっている判例・通説を要領よく身につけることである

ように思うのです。
なぜなら

(研究者から見て批判されるような)判例・通説でも「最低限知って置かなければ実務家として困る」のは明か

ですし,

知識をインプットすることは「思考力」を養うことよりも方法論的に確立されており,費用対効果を期待できる

からです。
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