「勉強部屋」

□自由に関する学習帳
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ベルクソン『時間と自由』を読む・1




第1 機械論と力動論
 1 概説
 ベルクソンは,「第三章 意識の諸状態の有機的一体化について――自由」と題して(169頁)論述を進めます。
 まず,取り上げるのは,「自然についての相対立する二つの体系,機械論と力動論」です。

[T]力動論
(概要)
「力動論は,意識によって与えられる意志的活動の観念から出発し,この観念を骨抜きにすることによって,惰性の表象に達する。」(169頁)考え方であり,このため,「力動論が一方に自由な力を,他方に諸法則によって支配される物質を考える」(169頁)ことになるといいます。
(「法則と法則が支配する事実との諸関係」に対する考え方(引用文献によれば「仮説」)
 「事実を絶対的現実とみなし,また法則をこの現実の多少とも記号的な表現とみなす」とします(170頁)。これだけであれば,実際の現象を抽象化して科学法則を見つけ出すと言う帰納的な穏当な科学観と整合する考え方に見えます。
 このような見方をとる理由として,ベルクソンは,「力動論者は,その視線をより高く上げるにつれて,それだけ事実が法則の束縛を免れるのを認めたと考える。」(170頁)ことを挙げますが,特に「その視線をより高く上げるにつれ」などという文学的な表現が遣われていることもあり,管理者には理解不能な理由です。
(法則ではなく,事実に重きを置く理由)
力動論は「諸観念の間に最も好都合な秩序を打ち立てることよりも,それらの間の現実的な関連を見いだそうと努める。」(170頁)。
機会論者が原始的であると見做し,単純であると言われるような観念でも「そこから派生するように見えるいくつかの,よりいっそう豊かな諸観念の融合によって得られている。」と考える。
 そして,「これらの観念は,闇が二つの光の干渉から生じるように,その融合そのものの中で相互に中和されるのである。」という(171頁)。
 この意味は,一種の関係論をいうのか。
 観念を言葉の意味と捉えると,ソシュールの言語論のようなどの単語の意味も,他の単語の意味との相関関係によって決まるという発想と近しい考え方を言っているのだろうか。

[U]機械論
(概要)
機械論は,力動論が意志活動の観念から出発するのとは逆に,「さまざまな物質的素材を自ら総合し,それらを必然的諸法則に支配されているものとみなす」とします。
このような前提に立つため,物質的素材相互間の「結合がだんだん豊かなものとなり,」(これは複雑化とか,多様化と言い換えてもよいと思います)私たちの世界の中でどのようなことが起こるかについての「予見が困難になり,」一見世界の中で起こるさまざまな現象が「外見上」「偶然的」に起こっているように見えるようになるとしても,あらゆることは必然的に起こっているとする考え方です(169頁,引用文献上の言葉で言うと,「最初に閉じこもった狭い必然性の圏内から出ようとしない。」)。
(「法則と法則が支配する事実との諸関係」に対する考え方(引用文献によれば「仮説」)
 機械論は「特殊な事実のなかに或る一定数の法則を見分け,事実はそれらの法則の言わば交差点だと考える。この仮説においては,根本的な現実となるのは法則である。」と言います(170頁)。
 「交差点」とは,どういう意味なのでしょうか。これもよく意味がつかみづらい文章です。
(事実ではなく,法則に重きを置く理由)
 「単純性」について,「原理はすべて,その結果が予見され,計算されさえすれば,単純である。」と捉える。
その結果,「惰性の概念は,定義そのものからして,自由の概念より単純なものとなり,等質的なものは異質的なものより,抽象的なものは具体的なものより,いっそう単純なものとなる。」と考えるからだという。(170頁)
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