-蜜-

□それが愛と知った日
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「な、なんで……」

 釣り開始から3時間。所狭しと魚がうごめいているカカシのバケツを前にあげはは愕然と立ち尽くした。対するあげはのバケツはというと、小ぶりの魚が数匹、優雅に泳ぎ回っている。

「活きのいいシラサエビと撒き餌まで用意したのに……」
「まだ時間はあるし、最後までわからないよ。お、かかった」

 鼻歌まじりに悠然と言ってのけるカカシは、使い古した疑似餌でまた一匹釣りあげている。
 これまでの釣果と照らし合わせてポイントも絞ったのに、どうしてこうも引きに差が出るのか。村の中では釣りの名手ともてはやされていたあげはとしては黙っていられない。

「釣った数じゃないですから。総重量ですからね!」
「わかってるよ。大物一匹釣りあげれば逆転だね」

 勝ち誇ったように顎を持ちあげるさまが憎たらしい。
 その後も大きな釣果はなく、いよいよ陽が傾きかけてあげはの威勢もなりをひそめてきた。

「……思ったんですけど」
「なに?」
「カカシさん、なにか不思議な力を使って魚を集めてるとかじゃないですよね」

 悔しまぎれに言ったつもりがカカシはうーんと考えるそぶりを見せた。

「俺が直接なにかしてるわけじゃないけど、生物が集まってきやすいってのはあるかもな」
「えっ?」
「前に言ったでしょ。俺たちの妖力には自然に働きかける作用があるって」

 忘れもしない、彼の書庫で読んだ「吸血鬼の生態」にまつわる話だ。吸血鬼が放つ妖力には自浄作用があり、彼らが棲みついた地は豊穣に恵まれるという。
 
「その自浄作用とやらのおかげなのかな。昔からやたらと生物に好かれるんだよね」
「なんでそれを先に言わないんですか! そんなの勝てるわけないじゃないですか!」
「え、そう? だってあんた釣りは得意だって言ってたから」
「それとは次元が違いますよね!?」
「あ! 見てアレ」
「ごまかそうったってそうは——」
「ほら、あんたの竿。引いてるよ」

 カカシの長い指が示す先を追うと、釣竿がものすごい勢いで引きこまれていた。
 あの引きの強さからするとかなりの大物だ。恐らくはここからの巻き返しも狙えるほどの。

「逃がすものですか!」

 すぐさま目を光らせて竿を引っ掴んだあげはだが、勢いあまって足元のバケツにつまずいた。

「えっ」
「ちょっ、危な——」

 ぐらりとバランスを崩した体が竿に引きずられて湖面に傾く。そこに滑りこむようにカカシの手が伸びてきたので、あげはは思いきりその腕にすがりついた。すると当然彼の体の重心も乱れて——

 ザッパーンッ!!
 派手な水飛沫をあげてふたり仲良く水中に落ちた。

「……」

 数秒後、湖面からゆらりと顔を出したあげはは呆けた表情で立ちあがる。

「釣りで水に落ちるなんて……」
「俺だって初めてだよ……」

 吐息まじりの声に振り返ると、読んで字のごとく濡れ鼠になったカカシがこめかみに手をやってうなだれていた。
 水に濡れて垂れさがった髪が彼を普段よりも幾分幼く見せて、それをまじまじと見つめていたあげはは思わずふきだす。

「カカシさん……ずぶ濡れ」
「いやあんたもね。そもそも誰のせいだと思ってんの」
「ご、ごめんなさ……っぷくく」
「まさか俺ごと引きずりこむとはやってくれるよ。てか笑いすぎ」
「あはははっ」

 最初こそ仏頂面だったカカシも、目尻に涙をためてころころと笑っているあげはにつられて頬をゆるめた。
 夕暮れの湖畔に子供さながらに水をかけあうふたりの影が長く長く伸びていた。





≫7. 昂ぶる、熱


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