-蜜-

□この眼は君を欲す
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 ふう、と重い息を吐きだす。駆けめぐる煩悩も一緒に吐き捨てられればよかったが、無論そううまくはいかなかった。

「……幻滅しましたか?」
「幻滅?」

 ため息を自分への失望ととったあげはが怯えまじりに訊ねてきたのでカカシは薄く笑った。

「まさか。その逆。あんたがことごとく俺の想定を飛び越えてくるから、対処が追いつかなくて困ってるだけ」
「やっぱり……困らせてますよね」
「まあ図星だから困ってるんだけど」

 弱々しく肩を落としたあげはだが、カカシのその言葉に再び目線を上げた。

「迷惑じゃないなら、私はカカシさんの力になりたいです」

 ほら、あんたはまたそうやって。湖よりも深く澄んだその黒曜の瞳で、いとも簡単に俺の防波堤を決壊させる。
 一度あふれてしまえばそれに押し流されるのは一瞬。

「……口だけじゃ足りないかもよ」

 先程までは必要ないと大見得きっていたのにずいぶんな掌返しだと自嘲しながら、布団についた腕に体重を乗せた。

「このまま最後まで俺に食いつくされてもいいの?」

 両腕の間に挟みこんだあげはに囁くように問う。瞬間、泳いだ目線をカカシは見逃さなかった。

 嫌なら今この場で首を横に振ればいい。あんたの意思をないがしろにはしない。
 そう俯瞰する一方で、拒ませるものかと謀略を巡らせる自分がいる。迷う暇すら与えずに細い下顎に手を添えて上を向かせ、先を促している。
 こんな浅ましい考えが知れたら自分こそ幻滅されるのではないかと危惧しながらも、飢えた双眸は執拗に彼女を求める。

 早く頷いて。
 俺を受けいれて。

 やがてこくりと小さく頷いたあげはに、カカシは電流が突きぬけるような感覚を覚えた。脳からあふれる興奮がたちまち全身を駆け巡る。

 ああ……気まぐれなんて嘘だ。
 月夜にひっそりと舞う麗しの蝶。一目見たときから渇望していた。
 艶やかな羽の内側に覆い隠されたその蜜は、一体どれほど甘いのだろう。

 やっと手に入れた。
 これであんたは俺の。俺だけのものに——


「あっ!」

 唇が触れる寸前で素っ頓狂な声が割りこみ、カカシは眉根を寄せて身構えた。
 まさかこの期に及んでお預け、なんて野暮な真似はしないだろうな。余裕を欠いた低音で「なに?」と訊ねると俯いたあげはが歯切れ悪くもらした。

「あの……風邪が……うつっちゃうかも」

 大真面目な瞳をまじまじと見据えてから盛大に噴きだす。

「……つくづく予測できないこと言うよね」
「だ、だって」
「その辺の病原菌にやられるほど脆くないから、俺。そもそも人間とは免疫の質が違う」

 納得できるようにそう言ってやればあげはは言葉を飲みこんだ。

「ほかに不安なことは?」

 一刻も早く覆いかぶさりたい衝動を抑えこみ、柔らかに問う。
 彼女が気を許すのを導くように。そしてその先の、身体を許すことに対しての躊躇いを取り払うように。

「えっと……私、経験不足、なので……。カカシさんを満足させられるかどうか……」
「それはむしろ願ったり叶ったりだけど?」

 しどろもどろに紡がれた声にカカシは胸が躍るのを感じた。
 今の今まで大胆に迫ってきたくせに、いざ手を伸ばしてみれば生娘のごとくはにかんで。いや、この反応は実際に生娘なのだろう。
 自分が彼女の奥深くまで浸食する初めての男なのだと思うと、乾いた喉がひりつくとともに鼓動が跳ねあがった。
 
 愛しくて、愛しくて、たまらない。

「あとは?」
「……」

 沈黙を肯定と解釈して腕に体重を乗せる。
 身を固くするあげはの緊張をもっと解きほぐしてやりたい気もするが、今は睦言を紡ぐその間さえ惜しい。早く彼女を味わいたくて。

「やめてほしかったら言って。あんたの嫌がることはしない」

 落ち着きはらった口調でそんな白々しい台詞を吐く自分に「嘘つけ」と内心で毒づいた。
 下腹部はとうに熱くたぎっている。にもかかわらず、それでもあげはの前では余裕のある男を演じていたい、なんて。
 
 透きとおるような白い肌に舌を這わせカカシはゆっくりと身体を沈めた。

 絡めとられたのは、俺。
 鮮やかな蝶に魅せられ自らの巣に溺れた、愚かな蜘蛛。

 



≫9. 溶けあう


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