-蜜-

□月夜の邂逅
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 月の色をそのまま映したような銀糸の髪が、夜風に流れ揺れていた。

「月が綺麗だね」

 湖のほとりに立つ楓の木に背をもたれて空を仰いでいた彼は、そう告げてゆっくりと振り返る。気配を殺して近づいたつもりがとうに気づかれていたらしい。

 こちらを向いたふたつの瞳は左右異なる色彩を浮かべていた。右目は闇の色。左目は——血の色にも似た鮮やかな真紅。
 その顔立ちは淡い月明りの下でもはっきりとわかるほど美しく整っており、彼の正体を知らなければ声も出せずに見惚れていただろう。

「女の子がこんな時間にひとり歩きなんて危ないよ。道に迷ったの?」
「いいえ。あなたを捜していたんです」

 声が打ち震えぬよう自らを奮い立たせながら絞りだす。

「俺を?」
「私は村長(むらおさ)の娘、あげは。あなたにお話があってまいりました」

 名乗りをあげると彼はわずかに眉を動かして視線を寄こした。

「よくここがわかったね」
「この湖の周辺で被害に遭ったと聞きましたから。——あなたに襲われた娘たちから」

 最後を意図的に強調して目に力をこめる。それを聞いた彼は喉をくっと鳴らして首をかしげた。

「それで? 村長のお嬢さんがわざわざなんの御用で?」
「率直に言います。これ以上村の娘を襲うのはやめてください」
「本当に率直だな」
「今月に入って昨夜で三度目……村の娘たちは怖がって外にも出られません」
「ここにはのこのこと来てたけど?」
「それはこの湖の水が飲み水として必要だからです! あなたはそれを知っていてここで待ち構えているんでしょう?」

 夜の湖畔に怒気を含む澄んだ高音が響きわたる。

「飲み水がなければ私たちは生きてはいけません。男手がない家の者は、若い娘ひとりでもここに水を汲みにこなければならないんです。たとえそこに吸血鬼が棲みついていたとしても!」

 拳を握りしめて言い放てば、男はゆらりと立ちあがった。湖の水面に浮かぶ満月がいびつに歪む。

「あんたら人間が水がないと生きていけないように、俺は人間の血がなければ生きていけないんだよ」

 薄く開いた唇の隙間から鈍色(にびいろ)の牙が見え隠れする。
 その鋭い刃を首筋に突き立てて、彼は人間の生き血を吸うのだ。襲われるのは決まって若い娘。

「村の娘を襲うのをやめろっていうのは、よその村の娘を襲えってこと? 自分たちに災いが降りかからなければそれでいいって? いかにも人間らしい考えだな」
「そんなことは言ってません」
「じゃあなに? 俺に干からびて死ねって? そんな要求が通ると本気で思ったの?」

 揶揄(やゆ)するように口の端を持ちあげ、男がこちらへ向かって一歩踏みだした。
 それと同じだけ退(しりぞ)いて慎重に距離を保ちながら言葉を探す。

「人間の血じゃなければいけないんですか?」
「はっ、野兎の血でもすすれって? 悪いけど俺はあんたらみたいに雑食じゃないんでね」

 乾いた声をもらして彼は両の瞳を細めた。表情で笑みを形作ってはいても、その目は一度として笑わない。

「なにも一滴残らず生き血を飲み干してるわけじゃない。必要な量をもらったらすぐに解放してるでしょ。こっちだって生きるためにやってるんだ、あんたらの一方的な定義で化け物扱いしないでほしいね」

 返す言葉が見つからず押し黙る。
 彼の言葉の通り、襲われた娘たちは首筋に深い吸血痕(きゅうけつこん)を負いながらも命に別状はなかった。吸血の反動で貧血を起こす程度で、大概は数日のうちに回復している。命まで奪われた例はない。
 問答でどうにかなる相手だと思っていたわけではないが、逆に説き伏せられてしまいあげはは拳に力をこめた。


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