-蜜-
□名前を呼んで
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柔らかな陽光に包まれて目が覚めた。
ぼんやりと開いた視界に見たこともない高い天井が映る。その中央にはきらびやかなシャンデリアが揺れていて、あまりに現実離れした光景にこれは夢だろうかとしばし呆けていた。
理解が追いつかず、首裏をかこうと伸ばした指先に触れる違和感。首筋に刻まれたくぼみにすっと血の気がひいた。
そうだ、私は。あの吸血鬼に——
逃げるように寝台から降りて窓辺に寄る。カーテンを開けて飛びこんできた景色に絶句した。
「おはよう」
突然背後からかかった声に悲鳴が出そうになるのをどうにかこらえた。
腕組みして扉に背をもたれた彼は、昨夜あれほど妖艶に煌めいていた目を眠たげにゆるませている。月光を反射していた銀糸の髪は陽の光のもとでは少しくすんで見えて、夜闇をまとう吸血鬼の印象とは程遠かった。
「ここは……」
「俺の城だよ」
欠伸とともに投げられた返答に、再び窓の外に目を向ける。
辺り一面透明な青。澄んだ水に囲まれたその場所に、さびれた古城は佇んでいた。
「……ここはあの湖の上なんですか?」
「そう」
窓から身を乗りだして眼下を見下ろすとかなりの高さであることがうかがえる。けれどあの湖にはこんな立派な城など存在しなかったはずだ。
「人間には見えないようになってるんだよ」
うろたえるあげはにさも当然のように彼は告げた。
炎が苦手だという誤認が広まっていることからも読みとれるように、吸血鬼の生態はいまだ多くが謎に包まれている。人智を超えた不可思議な力を使えたとしてもおかしくはない。
遠く湖のほとりに目を細めると、昨夜彼と遭遇したあの楓の木がわずかに確認できた。彼の言葉に偽りはないのだろう。
「体の調子は?」
「え? ……大丈夫、です」
「よかった。気失っちゃったから吸いすぎたかと思って。次はもう少し加減するから」
優しい声音で言われ、頷きそうになってとどまった。これは優しさでもなんでもない。彼にとって私は貴重な食糧だから、ただそれだけだ。
「それじゃ食事にしようか」
ほら、早速きた。扉を出ていく銀髪のあとを追いながらぎゅっと拳を握りしめる。
昨日の今日でまた吸血されるのか。でも仕方がない、これは私が望んだこと。彼の牙が首筋に食いこむ感触を思いだし身を震わせる。
回廊をくだってしばらく進むと豪奢な銀製の扉が現れ、そこを押し開いて通された長テーブルにはなぜかふたり分の食事が用意されていた。
「食事って……これですか?」
「うん。これじゃ不満?」
「いえ、そうではなくて。私の分も?」
テーブルセットからなにから全てが向かいあってふたり分の準備が整っている。意図が読めず率直に疑問をぶつけると彼は呆れたように目を細めた。
「当然でしょ。あんたは俺の大事な食糧なんだから。飢え死にさせるわけにはいかない」
「それは……そうでしょうけど」
腑に落ちないながらも促されるまま席についた。
彼が必要としたときに血を奪われ、あとは牢獄で鎖に繋がれ次の吸血までの時を無為に過ごす。てっきり生贄とはそういうものだと思っていたのだけれど。
「どのみちここからは逃げられないし、監禁する意味もないでしょ。どうしても繋いでほしいって言うなら用意するけど」
片手で頬杖をついて首をもたげる彼にぶんぶんと首を振る。待遇が良いに越したことはない。
「ああ、大事なこと言い忘れてた。取引の条件だけど」
「はい」
「基本的には週に一回、俺の求めに応じて血を提供すること。あとはまあ状況次第で急に血が必要になることもあるだろうから、それにも適宜応じること」
「そうすれば村の人には……」
「一切手を出さない。それでいい?」
提示された条件に是非もなくこくりと頷く。
毎日でも吸われる覚悟はしていたのだから、週に一度で良いのなら安いものだ。そう考えてしまうのは既に彼の術中にはまっているのだろうか。
「んじゃ、取引成立。せっかくだし乾杯しようか」
「はい——いえっ結構です!」
グラスに注がれた赤い液体をのけぞって拒絶すると、彼は「ふはっ」と噴きだして肩を震わせた。
恐る恐る鼻を近づけてみると芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。
「葡萄酒……?」
「朝から酒なんて出さないよ、ただのジュース。いい反応するね、あんた」
くくくと笑いを噛み殺している彼にたばかられたのだと気づき、深々と眉間に皺を刻む。
「いや、ごめん、想像以上で」と目尻を拭う彼を見て、こんなふうに笑うひとなんだ、と驚いた。
そうして吸血鬼を前にしながら古城での初めての食事を美味しく頂いたのだった。
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