-蜜-

□甘やかな巣に囚われて
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 美しい蝶を捕まえた。
 鮮やかな羽を広げて夜の空を舞うその蝶は、愚かにも自ら蜘蛛の巣へと飛びこんできたのだ。

 穢れなき瞳で彼女は村の娘を襲うなと言い放った。
 だから条件を出した。ならば代わりにあんたが餌になれと。
 そうすれば怖じ気づいて逃げだすかと思いきや、彼女は受諾したのだ。

 ごくり、と喉が渇きを訴える。
 別段飢えているわけではない。前日に湖畔をふらついていた娘を吸血したばかりだ。ならばこれは極上の餌を前にしたときの本能的な反射運動なのだろう。

 まさか食いついてくれるとは思わなかったが、彼女の血を飲めるのなら願ってもない。飢えを恐れて狩りにでる必要はなくなるし、なによりその美しい羽を自分だけのものにできるのなら。

 味見と称して吸い取ったそれは今まで口にしたどんな血よりも甘美で蠱惑的な味がした。
 こんな血の味を覚えてしまったら、もう手放すことなどできやしない。

 張り巡らせた糸に甘い蜜を絡めて、柔らかな真綿を敷きつめて。囚われた蝶が「ここにいるのも悪くない」と、そう思えるように。
 少しずつ。少しずつ。その四肢を絡めとっていく。どうかそのまま、この巣の奥深くまで沈んで。俺のだけのものになって。
 所有欲、庇護欲、独占欲。この感情にどんな名前をつければいいのか。
 「可愛い」を「愛しい」と同義ととらえて良いのなら、これは疑う余地もなく愛情だろう。

 吸血のときにもらす甘ったるい声も、快楽を押し殺すように伏せられた長い睫毛が揺れるさまも、そのあとに見せる紅潮した横顔も。
 料理中のいきいきとした表情も、「美味しい」と告げたときの嬉しそうな笑顔も、未知の文献に食いいる真剣な瞳も、寝ぼけ眼をこする無防備なさまも。
 すべてがこの渇いた心をとらえて離さない。
 もっと、もっとと、増殖する欲はとどまることを知らず、満たされるどころかますます飢えていく。
 巣に絡めとられて沈んでいったのは彼女か、それとも俺か――

 自問自答を繰り返しながらも俺は常に彼女を大切にしてきたし、彼女の意向を尊重もしてきた。

「カカシさん。折りいってお願いがあります」

 だから、彼女が真剣な目でそう口火を切ったときには、頭の芯が凍りついたように冷え固まった。
 その先を聞くべきじゃない。そう警鐘を鳴らしながらも大人然(たいじんぜん)とした男であろうとする自分は「改まっちゃってどうしたの」と平静を取り繕う。

「外に出たいんです」

 ……ああ、やっぱり。
 鈍器で思いきり殴りつけられたような衝撃を噛み殺す。

「……今更そんなの通用すると思ってるの」

 氷のように鋭く冷たい声色を向けるも、彼女が尻込む様子はない。
 
「もう耐えられないんです……」

 落胆。失望。憤慨。愛情を覚えたはずの心が言葉にならない感情で埋めつくされていく。
 あんたにとって、俺と過ごした時間は苦痛でしかなかったの? はにかみながら見せた笑顔は全部嘘だったの?

「ずっと我慢してきましたけど……私もう……」

 どんなに甘い蜜でとらえたとしても、青い空を忘れられずに羽ばたこうとするのなら。
 いっそその羽ごとむしりとってしまおうか。

 そうすれば、あんたは、俺だけの――



「肉はうんざりなんです!」




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