-蜜-

□欲望と願望
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 銀細工が施された重厚な扉をくぐりぬけ、あげはは久方ぶりに外気を吸いこんだ。
 すぐにでも大地を踏みしめて走りだしたい衝動に駆られるも、城の四方は湖に囲まれていて見たところ小舟のひとつもない。

「どうやって岸まで向かうんですか」
「歩いて向かうんだよ」
「道もないのに?」
「ここにあるよ、ほら」

 ぴしゃん、とカカシの足が湖面を蹴ると、澄んだ湖水が割れるように左右に分かれた。湖底にちょうど人ひとり通れそうな通路が生まれる。
 驚きのあまり声も出ないあげはを振り返ってカカシは手を差し伸べた。

「行こう。長くはもたないよ」
「は、はい!」

 今にもなだれかかってきそうな水の壁の間を、カカシの手を頼りに歩く。数分進んだところで見覚えのある楓の木が目にとまった。彼と初めて会ったあの場所、だ。
 岸に足をかけると同時に水壁は崩れた。後方に目をやったあげはは驚愕する。

「え……! お城は!?」

 確かにここを通ってきたはずなのに、湖上のどこを探してもカカシの城は見あたらない。あの巨大な城が一瞬にして消えるなんて、これも彼が持つ不可思議な能力なのか。

「妖力で膜を張ってるだけだよ。目には見えないだけで、本当は存在してる」

 どれだけ目を凝らしても城の輪郭ひとつ掴めない。もはや理解も追いつかないのでそれ以上訊ねる気にもなれず、あげはは楓の木に視線を戻した。鮮やかに紅葉した楓の葉が、最初にここで彼に会った日よりも季節が進んでいることを伝えている。
 村の人たちは元気に暮らしているだろうか。家族は、父は。突然失踪した娘に呆れかえっているだろうか。

「あげは?」

 すぐ背後で響いた声にびくりと肩を震わせると、カカシが射抜くような眼差しでこちらを見ていた。

「あ……じゃあ早速野草を摘みましょうか。カカシさんも手伝ってくださいね」

 軽やかに笑いかけて周辺を物色し始める。
 しばらくは傍でじっと観察していたカカシだが、あげはが野草選びに夢中になっていると隣にしゃがみこんで一緒に草をかき分けた。

「これ?」
「そう、それです。そのままだと苦味があるけど、ゆがいてアク抜きすると美味しいんですよ」
「へー。あ、こっちにもあった」
「袋もっと持ってくればよかったですね。——ってカカシさん! それ毒きのこ!」
「ええ? さっきあんたが摘んだのと一緒だよ」
「よく見てください! 傘のうず模様が逆でしょう? これが左回りのきのこには強い毒性があるんです」
「紛らわしい……」

 ふたつのきのこを見比べて「ほとんど同じなのに」とぼやいているカカシにあげははとんでもないと首を振る。

「気をつけないと、大量に摂取すると命を落とすことだってあるんですよ」
「それは困るな」
「……とは言ってもカカシさんならきっと平気でしょうけど」
「俺はね。でもあんたに死なれるのは困る」

 毒きのこから手を離して他の野草を探し始めるカカシ。何気なく放たれたその言葉の裏側に別の意味を求めてしまいそうで、あげははあははと笑い飛ばした。

「大事な食糧ですもんね」
「それだけじゃないけどね」

 艶美に光る色違いの双眸に今度こそ返答に窮する。
 その後もふたりであれやこれやとやっているうちに陽は傾き、「そろそろ戻ろう」とカカシが腰をあげるとあげはもそれに倣って立ちあがった。付着した土を払い、ぱんぱんになった麻袋を肩にかけたところで手が伸びてきて荷を奪われる。

「ありがとうございます」
「……」
「カカシさん?」
「……いや。なにも言わないんだなと思って」
「え?」
「帰りたいって言うかと思った。隙を見て逃げだそうとしたりとか」

 カカシが目線を逸らしながら紡いだ言葉をあげはは唖然として聞いていた。

「村や家族のことは……少し気になりましたけど。逃げだそうなんて考えもしませんでしたよ?」

 これは嘘偽りのない本音だ。更に言えば懐郷にとらわれたのは最初だけで、途中からはすっかり食材探しに熱中していた。

「私は自分であなたと共に行くと決めたんです。今更それを覆したりしません」
「……あんたも物好きだね」

 夕日を背負う彼の表情は逆光ではっきりとはうかがえないけれど、その口調には安堵が滲んでいるように思えた。
 
 あなたが私を必要としてくれるのなら、私はいくらでもあなたの餌になる。

「帰りましょう?」

 ふたりだけの時間が穏やかに流れる、あの城へ。

 手を差しだせばカカシはやんわりとその手を取って頷いた。


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