Dear…

□Crying Moon
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闇。


己が佇む空間を言葉にして表すとすれば、その一言で事足りた。


それはどこまでも広がる漆黒の闇に包まれた虚無の世界。

そこには光も、希望も、救いも、何も存在しない。

ただ黒く淀んだ絶望だけが、そこに堕ちた者を貪欲に侵食し続ける。


その孤独な闇の中で、彼は静かに目を開いた。

当然ながらその瞳に映るものは何もない。



――ああ……俺はまた、ここへ還ってきたのか。



混濁する意識の中でそう考えて、ふと疑問が浮かび上がる。


還ってきた?

ならば自分は今までどこにいたのかと。


もう何十年もの長きに亘り自分を捕らえていたはずのこの世界が、今は随分懐かしく感じられた。


記憶を辿ろうとして、辿るべき道筋がないことに気づく。



――俺は、誰だ?


――俺は……何だ?



視覚も聴覚も意味を為さないこの空間にあっては、己の存在ひとつ明確に認識することすら困難で。


わからない。


ワカラナイ。


『俺』は一体『何』なんだ。


次第に思考することすら億劫になって、瞼を伏せようとしたとき、不意にどこからか声が響いた。



『ウルキオラ――』



……ああ、そうだ。

ウルキオラ。それが俺の名だ。


だが、今の声は?

とても懐かしく、愛しい声だった。

けれどその声の主が思い出せない。


『ウルキオラ』


彼女が自分の名を呼ぶその声が好きだった。

彼女と出逢うまでは、名前などただの呼称であってそこに意味などないと思っていたのに。


『呼ぶ人が気持ちを込めて呼べば、その名前も意味のあるものになるんじゃないかな』


そう教えてくれたのも、彼女だった。

そして優しい声でこの名を紡いで、俺の名に意味を与えてくれた。


大切だった。


誰よりも、何よりも、大切だった。


二度と離すまいと決めた。


今度こそ護り抜くと誓った。


――誓ったのに。



『私がわからないの?』



わかってる。


わかっているんだ。


俺の魂が彼女の存在を肯定している。


なのに何故、彼女の名が思い出せない?


その笑顔も、瞳の色も、風に揺れる髪も。


幾度となくこの目に焼き付けてきたはずなのに、何故何も思い出せないんだ。



『どうして……こんな』



黒い静寂に響き渡るのは哀しみに満ちた声。


彼女は何を嘆いている?


何が彼女を苦しめている?


何故――彼女は俺の隣にいない?


俺は、ここで何をしている?



『ウルキオラ!話を聞いて!』



彼女は…………誰だ?





ザン……



彼女の声以外に初めて耳に届いた音は、ひどく鈍い響きを帯びていた。





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