□すばらしいもの
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『 ――デミ・ヒューマン。
一般に『D・H』と略して表記される、半永久的に活動する人工知能(A・I)搭載次世代型ヒューマノイド。
20世紀頃から促進されてきたロボット工学の集大成ともいえるこのD・H。最も画期的な点は、『パーソナル・イラ』と呼ばれる、人間の心をデータ化して保存したプログラムをA・Iの中に取り込み、行動・言動・思考をより人間的なものに近づけ、固体における性格の形成を可能にした点である。――』





「どうだろうかダン。出だしはこんな感じで」

ここは先生・ジョスト・ローレンの家のサンルーム。
ぼくは、つい1時間前にオガタといっしょに来た。オガタはぼくの隣で寝ている。
『まったくこの子は。毎回、毎回、まるでこの部屋に眠りにきてるみたいね』
ブランケットを持ってきたフランカは、オガタの膝にそっとのせてから、買い物へ行った。
フランカは先生の奥さんで、もう60歳をとうに過ぎているはずだが、いつまでも元気でかわいらしい老嬢だ。
オガタの膝の上に乗ったモスグリーンのブランケット。いつものように、当然のように、この家でくつろぐぼくたち。

レトロにも万年筆で原稿用紙に書きこまれた数行の文章。達筆とは言いがたい、読みなれた先生の筆跡。
「論文ですか?」
それとも教科書?とぼくはズレたメガネを引き上げた。
ぼくから原稿用紙を返された先生は、なぜか誇らしげだ。まあ、先生が胸を張ってるのはいつものことだが。
「いや、D・Hが世間一般に普及した時に出版しようと思っているものだ。研究員や販売員でなくても、簡単な仕組みくらい知っておいたほうがいいと思ってな。あと困ったときの対処法とか」
「よくあるQ&Aとか?」
「そう!」
「それはまた・・・気の遠くなるお話ですね」
文面に嘘はひとつも書かれていないが、どれもこれも鋭意研究中の事柄ばかりだ。
理論上は、こうなる。だが現実には、まだどうなるかわからない。机上の空論というやつだ。
3課では、人間の心をデータ化した『パーソナル・イラ』を。
ぼくが所属している2課では、その『パーソナル・イラ』を搭載したD・Hを実生活に即して研究している。
「だが研究はうまくいってる」
たしかに研究は順調だ。
たとえ歩みが亀より遅くとも。成果も着実に上がっているし、大きなトラブルもない。
だが、こんなに自信をもって言えるほどでもないと思う。ぼくは苦笑する。
「オガタやフランカは?」
「オガタは題名だけでほら、寝てしまうし。フランカには『そんな先の先のことを考えてるくらいなら。庭の草取りをしてちょうだい』と言われて相手にもしてくれなかったよ」
それでこそフランカだ。
そしてフランカのこういう現実的なところは、孫娘のリレイスにしっかりと受け継がれている。

先生はぼくの隣に座った。
ソファが少し沈んで、ぼくの逆どなりで眠っているオガタの頭が不安定に動いた。
「先生?」
先生は少し前かがみになって、組んだ指を膝においている。
そしてオガタの小さな、ほんとうに小さな寝息にまぎれてしまうかのように、少し笑った。



「なあ、ダン。フランカは私たちが生きているうちはムリだと言う。D・Hが路面電車を運転していたり、花屋のバケツに水を注ぎ足しているのを見るのは――つまりD・Hがまた社会にもどり、人間と生活を共にしている風景を見るのは。フランカは、そうなるのは早くても、きみたちが私たちくらいの年代になるくらいだと言う。だが私は、そうは思わない。遠くない未来、あるいは、年が明けたらそんな風景が広がっているかもしれない。よく、そういう夢を見るんだ。きみたちの努力も、わたしの夢も、必ず報われる。すぐに、廃棄令など愚かなことだったと気づいたように、人はあらためてD・Hのすばらしさに気づく。便利さももちろんだが、その存在に。なぜなら、彼らはけっして人間をひとりにはしないのだから」








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